久留米市立久留米商業高等学校
福岡県久留米市にある高等学校
久留米市立久留米商業高等学校(くるめしりつくるめしょうぎょうこうとうがっこう)は、福岡県久留米市南一丁目にある公立高等学校。略称は「久商」(きゅうしょう)。
久留米市立久留米商業高等学校 | |
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2022年5月撮影 | |
北緯33度17分36.9秒 東経130度30分51.1秒 / 北緯33.293583度 東経130.514194度座標: 北緯33度17分36.9秒 東経130度30分51.1秒 / 北緯33.293583度 東経130.514194度 | |
過去の名称 |
久留米簡易商業学校 市立久留米商業学校 福岡県久留米商業学校 久留米市立久留米商業学校 久留米市立久留米工業学校 久留米市立久留米商業学校(再) |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 久留米市 |
学区 | 福岡県全域 |
校訓 | 和親敬愛・誠実勤勉・自主独立 |
設立年月日 | 1896年 |
創立記念日 | 5月7日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
経営科学科 経営科学科特別進学コース |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D140220300077 |
高校コード | 40202J |
所在地 | 〒830-0051 |
福岡県久留米市南1丁目1-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 歴史
- 1896年(明治29年)、福岡県で初の公立商業学校[1]として創立した「久留米簡易商業学校」(実業学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となる。2026年(令和8年)には創立130周年を迎える。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 1学科(商業に関する学科)
- 経営科学科
- 大学進学コース
- 経営情報コース
- 経営総合コース
- 2013年(平成25年)に従来の「経営ビジネス科」と「情報ビジネス科」を改組の上、上記の学科が設置された。
- 経営科学科
- 校訓
- 「和親敬愛・誠実勤勉・自主独立」
- 校歌
- 作詞は八波則吉、作曲は新清次郎による。
- その他
- 国家資格の基本情報技術者試験(FE)の午前科目免除制度の認定校となっている[2][3]。
- 野球部は、選抜高等学校野球大会(春の選抜甲子園大会)に5回、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に4回出場しており、1962年(昭和37年)に第44回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)で準優勝を果たした。
沿革
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- 創立前
- 1893年(明治26年)10月 - 久留米市日吉町に「私立商業学研究所」が設立される。
- 1894年(明治27年)
- 6月 - 「私立久留米商業学校」に改称。
- 7月 - 私立久留米商業学校が開設される。
- 1895年(明治28年)12月 - 私立久留米商業学校が廃止される。
- 創立・商業学校
- 1896年(明治29年)
- 5月 - 久留米市の運営により、荘島町公会堂に「久留米簡易商業学校」が設立される。
- 9月 - 久留米絣[5]同業組合事務所にて開校式を挙行。
- 1897年(明治30年)11月 - 「市立久留米商業学校」に改称(後に「福岡県久留米商業学校」に改称)。
- 1900年(明治33年)1月 - 設立認可される。
- 1901年(明治34年)10月 - 「久留米市立久留米商業学校」に改称。
- 1915年(大正4年)8月 - 第1回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園大会の前身、会場は豊中グラウンド)に出場(初出場)。
- 1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、「久留米市立久留米工業学校」に転換・改称。また、旧制中等教育学校(旧制中学校・高等女学校・実業学校)が5年制[6]から4年制に短縮される(1941年(昭和16年)4月以降に入学した生徒に適用)。
- 1945年(昭和20年)3月 - 4年修了者および5年修了者[7]合同の卒業式が行われる。
- 1946年(昭和21年)4月 - 終戦により、「久留米市立久留米商業学校」に戻る。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革の経過措置として、新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、商業学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。商業学校としての募集を停止。修業年限を5年制に戻す(ただし、4年で卒業することもできた)。
- 1年生は生徒募集により、不在。2・3年生は併設中学校に所属。4・5年生は商業学校に所属。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。これにより、旧制実業学校(5年制)から新制高等学校(3年制)へ完全に移行。
- 1950年(昭和25年)- 男女共学を開始[1]。
- 1951年(昭和26年)6月23日 - 火災により、校舎が全焼。
- 1956年(昭和31年)3月 - 第28回選抜高等学校野球大会(春の選抜甲子園大会)に出場(初出場)。
- 1957年(昭和32年)
- 3月 - 第29回選抜高等学校野球大会(春の選抜甲子園大会)に出場(2年連続、2回目)。
- 4月 - 女子の制服を統一。
- 1959年(昭和34年)3月 - 第31回選抜高等学校野球大会(春の選抜甲子園大会、2年ぶり3回目)に出場。
- 1962年(昭和37年)
- 4月- 女子の制服の左袖に校章ワッペンをつける。
- 8月 - 第44回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会、47年ぶり2回目の出場)で準優勝。
- 1979年(昭和54年)3月 - 第51回選抜高等学校野球大会(春の選抜甲子園大会、20年ぶり4回目)に出場。
- 1983年(昭和58年)
- 3月 - 第55回選抜高等学校野球大会(春の選抜甲子園大会、4年ぶり5回目)に出場。
- 8月 - 第65回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会、21年ぶり3回目)に出場。
- 1985年(昭和60年)8月 - 第67回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会、2年ぶり4回目)に出場。
- 1992年(平成4年)- 男子の制服を改定(学ランからスーツへ)。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 経営ビジネス科と情報ビジネス科の募集を停止し、経営科学科を新設。
- 2015年(平成27年)3月31日 - 経営ビジネス科と情報ビジネス科を閉科。
- 2020年(令和2年)- 多様性を重視し、制服を改定。
著名な関係者
編集- 出身者
- 石橋正二郎(ブリヂストン創業者)(1889~1976)
- 古賀磯次(道仁会創立者)(1934~2009)
- 石井光次郎(政治家)(1889~1981)
- 赤松要(経済学者)(1896~1974)
- 馬場ゆかり(女子プロゴルファー)
- 川崎徳次(元プロ野球選手)(1921~2006)
- 井上次平(元プロ野球選手)
- 宮崎晋一(元プロ野球選手)
- 荻孝雄(元プロ野球選手)(1934~2014)
- 平塚宝(元プロ野球選手)
- 淡河弘(元プロ野球選手)
- 松本俊一(元プロ野球選手)
- 伊藤久敏(元プロ野球選手)
- 平尾邦彦(元プロ野球選手)
- 山田武史(元プロ野球選手)
- 朝山東洋(元プロ野球選手)
- 古川裕大(プロ野球選手)
- 井上絢登(プロ野球選手)
- 重岡孝文(柔道家)
- 田村ゆかり(声優)
- 職員
アクセス
編集- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 西鉄バス「十二軒屋」または「附属校前」下車
- 最寄りの幹線道路
- 福岡県道755号安武本国分線
- 国道209号 「十二軒屋西」交差点
周辺
編集脚注
編集- ^ a b c d 校章にまつわる話 - 久留米市立久留米商業高等学校ウェブサイト
- ^ IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:情報処理技術者試験:午前試験免除 基本情報技術者試験(FE)
- ^ “認定免除対象講座の一覧(PDF)”. 独立行政法人 情報処理推進機構. 2021年7月29日閲覧。
- ^ 「福岡県教育百年史 第7巻 (年表・統計編)」(福岡県教育委員会, 1980年(昭和55年)3月)
- ^ 「くるめかすり」。(久留米かすり)
- ^ 現在の制度で、中学1年生から高校2年生までの5年間に相当。
- ^ この時の4年修了者は1941年(昭和16年)4月入学生(教育ニ関スル戦時非常措置方策の適用)。5年修了者は1940年(昭和15年)4月入学生。