マルキン醤油
(丸金醤油から転送)
マルキン醤油株式会社(まるきんしょうゆ)は、香川県に所在する醤油メーカーを起源とする株式会社。
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒761-4421 香川県小豆郡小豆島町苗羽甲1850番地 |
設立 | 2017年(平成29年)4月3日 |
法人番号 | 4470001016218 |
事業内容 | 盛田株式会社のブランド価値向上のための支援活動 |
代表者 | 代表取締役社長 檜垣周作 |
資本金 |
1百万円 (2017年4月3日現在) |
主要株主 | 盛田株式会社 100% |
関係する人物 | 木下忠次郎(初代社長)[1] |
特記事項:1907年創業。マルキン忠勇を経て現在の企業形態となる。 |
現在はブランド管理業務専門の会社で、元々製造していたマルキンブランドの醤油・調味料は親会社の盛田が製造販売している。
沿革
編集創業は1907年1月22日、島の有力醤油醸造家8名(設立時株主164名)を中心に香川県小豆郡苗羽村(のち内海町、現・小豆島町)に丸金醤油株式会社が設立された[2]。初代社長に木下忠次郎が就任[1]。
- 1934年8月12日 - 内海醤油会社を吸収合併。
- 1949年5月 - 大阪証券取引所第2部(現・東京証券取引所スタンダード)に上場[1]。
- 1950年 - 醤油の公定価格の撤廃に伴い、最上品製造会社の一つとしてヤマサ醤油、キッコーマン、ヒゲタ醤油とともに自粛価格を設定した[3]。
- 1962年8月1日 - 船山醤油、安田醤油、川野醤油、島一醤油の4社を吸収合併。
- 1988年3月 - 大阪府大阪市西区にマルキン大阪ビルを設置。
- 2000年4月1日 - 忠勇株式会社(旧会社。同日付けでマルキン忠勇株式会社に社名変更。現・ジャパン・フード&リカー・アライアンス)に吸収合併され消滅。
- 2017年4月3日 - ジャパン・フード&リカー・アライアンスの事業子会社盛田が、マルキンブランドの価値向上目的としてマルキン醤油株式会社として復活設立。
役員
編集『日本全国諸会社役員録 明治44年』
編集『日本全国諸会社役員録 第30回』
編集『日本全国諸会社役員録 第32回』
編集『日本全国諸会社役員録 第38回』
編集- 社長・木下忠次郎[7]
- 専務取締役・瀧川辰太郎[7]
- 常務取締役・清水十二郎、黒島仁太郎、中井房太郎[7]
- 取締役・黒島傳次郎、水野邦次郎、長西長次郎[7]
- 監査役・大森貞資、高橋筆四郎、塩田亀吉[7]
『日本全国諸会社役員録 第43回』
編集社名の由来
編集忠勇との合併
編集商法上は、忠勇が丸金醤油を吸収合併した形だが、実際は経営不振に陥った忠勇が丸金醤油の傘下に入ったもので、いわゆる逆さ合併であった。
外部リンク
編集出典
編集- ^ a b c d 上藤孝「丸金醤油」『日本釀造協會雜誌』第82巻第6号、日本醸造協会、1987年、418頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1915.82.418、2022年4月20日閲覧。
- ^ 天野雅敏「近代小豆島醤油製造業の発展と丸金醤油株式会社」『国民経済雑誌』第206巻第4号、神戸大学経済経営学会、2014年12月5日、1-17頁、doi:10.24546/81008434。
- ^ 「しょうゆ四印一本値」『日本経済新聞』昭和25年7月12日3面
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 明治44年』香川県 下編925頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月29日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第30回』香川県 下編646頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月29日閲覧。
- ^ a b c d 『日本全国諸会社役員録 第32回』香川県 下編578頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月29日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録 第38回』香川県 下編513 - 514頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月8日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録 第43回』香川県 下編489頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月29日閲覧。
参考文献
編集- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治44年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第30回』商業興信所、1922年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第32回』商業興信所、1924年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第38回』商業興信所、1930年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第43回』商業興信所、1935年。