中田秀造
台湾総督府官僚
中田 秀造(なかた ひでぞう、1876年〈明治9年〉12月[1] - 1930年〈昭和5年〉1月9日[2])は、台湾総督府官僚。花蓮港庁長。
経歴
編集福島県菊多郡、のちの窪田村(石城郡窪田村、勿来町、勿来市を経て現いわき市)に生まれ[3]、のち秋田県に籍を移す[4]。中田直久の養嗣子[4]。1902年(明治35年)6月、彰化庁、苗栗庁、新竹庁各警部を経て、1917年(大正6年)8月、宜蘭庁警視に任じ警務課長となる[4]。1919年(大正8年)5月、桃園庁に転じ、1920年(大正9年)8月、台中庁警務課長を経て、同年9月、台中州東勢郡守に就任した[4]。のち花蓮港庁長となった[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 橋本白水『台湾の官民 : 評論』台湾案内社、1919年 。
- 橋本白水『評論台湾之官民』南国出版協会、1924年 。
- 橋本白水『台湾の事業界と人物』南国出版協会、1928年 。