中島盛夫
中島 盛夫(なかじま もりお、1945年[1] - )は、福島県相馬郡飯舘村出身[1]の銭湯絵師(いわゆるペンキ絵師)。東京都練馬区在住[2]。日本に3人いるペンキ絵師の1人(他の2人は丸山清人と田中みずき)。丸山清人とは兄弟弟子[3]で、田中みずきは弟子。
人物
編集中学校2年生の時に福島県相馬市に転居。18歳で上京し墨田区向島でゴム製部品の製造工場に勤務していたが、1964年(昭和39年)、偶然に入った銭湯で見た『大きな富士山』の背景画に感銘を受け、すぐに背景広告社へ転職し、丸山喜久男[注 1]に師事[2]。
以前、指に怪我を負い、広範囲の塗りを刷毛のみで行うことが困難になった時から、空塗りにローラー塗装に用いるローラーブラシを使用するようになった。ローラーを用いると大変早く描き終えられるため(1面3時間程度)、銭湯の通常定休である1日の間に完成させることができるようになった。日に2件かけもちすることもあった[5]。やがて、この手法は他の絵師にも広がった[1]。
作風
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c “中島盛夫 プロフィール”. 銭湯絵師・中島盛夫 公式ホームページ. 2019年2月27日閲覧。
- ^ a b “#017 背景画師 中島盛夫さん”. とっておきの練馬 (2008年2月1日). 2022年5月24日閲覧。
- ^ “丸山清人 プロフィール”. 銭湯絵師 丸山清人公式ホームページ (2018年4月13日). 2019年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月10日閲覧。
- ^ “銭湯の背景画を描き続けて60年! 絵師 丸山清人さんインタビュー”. 東京銭湯. 東京都浴場組合 (2006年3月4日). 2019年4月10日閲覧。
- ^ “数少ない銭湯の背景画師 富士山と松 立体的に 中島盛夫さん:東京達人列伝”. 東京新聞 TOKYO Web (2008年12月8日). 2009年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月10日閲覧。
- ^ 『官報』号外259号、令和6年11月5日
- ^ “令和6年秋の褒章 東京都(pdf)p.2”. 令和6年秋の褒章受章者名簿. 内閣府 (2024年11月2日). 2024年11月9日閲覧。
- ^ “銭湯絵師という仕事-田中みずき”. ニッポンドットコム (2017年2月24日). 2019年4月8日閲覧。
関連項目
編集- 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (映画) - 作品中の銭湯の背景画を制作
外部リンク
編集- 銭湯絵師・中島盛夫 公式ホームページ
- 銭湯絵師 中島盛夫official (@sentou_nakajima_official) - Instagram
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