中居謹蔵
中居 謹蔵(なかい きんぞう、1961年10月6日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福島県双葉郡富岡町 |
生年月日 | 1961年10月6日(63歳) |
身長 体重 |
186 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1979年 ドラフト4位 |
初出場 | 1983年4月9日 |
最終出場 | 1985年8月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集小高工業高では、1979年春季東北大会県予選準々決勝に進むが、学法石川高に敗退。
1979年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから4位指名を受け入団。
1983年、初の一軍昇格。4月23日には、当初仁科時成が先発予定であったが、強行スケジュールでの移動のために首脳陣に先発回避を直訴。登板前日に中居に急遽先発が言い渡され、9回を1失点に抑える好投。初先発で初完投、プロ入り初勝利を挙げる[1]。この勝利で先発陣に組み入れられるが、その後は7連敗。同年8月31日の対阪急戦に先発して好投。山沖之彦と互いに無失点で投げ合い、9回表に落合博満が3ランホームランを放ったが、勝利目前の9回裏に松永浩美に逆転サヨナラ満塁ホームランを浴びて敗戦投手になった。シーズン終盤の10月12日には阪急の山田久志に投げ勝ち、完投で2勝目。翌年以降の活躍が期待されたが、故障もあり実績を残せなかった。
プロ野球引退後は金田留広の紹介で、金田正一が経営していた中目黒にあったサウナ「サウナ34」に就職[1]。サウナ34に客としてきていた青木功と知り合い、ゴルフ界に転向[1]。青木功や渡辺司のキャディーとしてツアーに参加。
2011年には久保谷健一のキャディーをつとめている[1]。現在は、TBSと契約を結び、ゴルフ中継のオンコースリポーターを務め、また若手選手のキャディーを行なっている。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1983 | ロッテ | 25 | 14 | 3 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | -- | .222 | 399 | 86.2 | 109 | 15 | 37 | 2 | 4 | 45 | 3 | 0 | 69 | 52 | 5.40 | 1.68 |
1985 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 1.0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 18.00 | 4.00 | |
通算:2年 | 26 | 14 | 3 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | -- | .222 | 405 | 87.2 | 112 | 15 | 38 | 2 | 4 | 45 | 3 | 0 | 71 | 54 | 5.54 | 1.71 |
記録
編集- 初登板:1983年4月9日、対近鉄バファローズ1回戦(日生球場)、3回裏1死に2番手として救援登板、4回3失点(自責点2)
- 初奪三振:同上、3回裏に金村義明から
- 初先発・初完投・初勝利:1983年4月23日、対日本ハムファイターズ1回戦(宮城球場)、9回1失点
背番号
編集- 61 (1980年 - 1983年、1987年)
- 16 (1984年 - 1986年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 中居謹蔵 - NPB.jp 日本野球機構