中小屋駅
かつて北海道石狩郡当別町にあった北海道旅客鉄道の駅
中小屋駅(なかごやえき)は、北海道石狩郡当別町字中小屋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲130208[1]。
中小屋駅 | |
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駅舎(2017年7月) | |
なかごや Nakagoya | |
◄本中小屋 (3.2 km) (2.8 km) 月ヶ岡► | |
所在地 | 北海道石狩郡当別町字中小屋 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 札沼線(学園都市線) |
キロ程 | 38.8 km(桑園起点) |
電報略号 | ナヤ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1935年(昭和10年)10月3日 |
廃止年月日 | 2020年(令和2年)5月7日[報道 1] |
備考 |
無人駅 路線廃止に伴う廃駅 |
歴史
編集- 1935年(昭和10年)10月3日:国有鉄道札沼線石狩当別駅(現・当別駅) - 浦臼駅間の開通[報道 2]に伴い、同線の駅として開業[2]。一般駅[3]。
- 1944年(昭和19年)7月21日:第二次世界大戦の激化に伴い、札沼線の石狩当別駅(現・当別駅) - 石狩月形駅間が不要不急線に指定されたため、当駅も営業休止となる[4]。
- 1946年(昭和21年)12月10日:札沼線 石狩当別駅 - 浦臼駅間の営業再開に伴い、営業再開[5]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1972年(昭和47年)4月15日:貨物取扱い廃止[3]。
- 1979年(昭和54年)2月1日:荷物取扱い廃止[3]。同時に駅員無配置駅となり[6]、簡易委託化。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[3]。
- 1991年(平成3年)3月16日:札沼線に「学園都市線」の愛称を設定[報道 2][報道 3][7]。
- 1996年(平成8年)3月16日:札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む石狩当別駅 - 新十津川駅間でワンマン運転開始[7]。
- 2000年(平成12年):札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む桑園駅 - 石狩月形駅間に自動進路制御装置 (PRC) を導入[8]。
- 2020年(令和2年)
駅名の由来
編集→「本中小屋駅 § 駅名の由来」も参照
地名より[9]。
駅構造
編集単式ホーム1面1線を有していた地上駅。石狩当別駅が管理していた無人駅。ヨ3500形のヨ4659改造の駅舎だった。かつては木造駅舎があったが撤去された。
2020年5月7日の北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止にあたって、同日未明にホームに設置されていた駅名標が撤去された[新聞 4]。
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ホーム(2017年7月)
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駅名標(2017年7月)
利用状況
編集- 1950年(昭和25年)の1日平均乗車人員は136人[10]。
- 1955年(昭和30年)の1日平均乗車人員は175人[10]。
- 1960年(昭和35年)の1日平均乗車人員は316人[10]。
- 1965年(昭和40年)の1日平均乗車人員は354人[10]。
- 1969年(昭和44年)の1日平均乗車人員は226人[10]。
- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗降人員調査(11月の調査日)平均は「10名以下」[報道 5]。
- 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は7.0人[報道 6]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は6.8人[報道 7]。
- 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は5.8人[報道 8]、乗降人員調査(11月の調査日)平均は「10名以下」[報道 9]。
- 2015 - 2019年(平成27 - 令和元年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は6.0人[報道 10]。
駅周辺
編集小さな集落が形成され、商店や民家が数軒ある。駅東側は月形町との境界となっている。
隣の駅
編集脚注
編集出典
編集- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、220頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 『官報』 1935年9月26日 鉄道省告示第405号(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、833頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「運輸通信省告示第353号」『官報』1944年7月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「運輸省告示第313号」『官報』1946年12月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “「通報」●札沼線石狩金沢駅ほか5駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 3. (1980年1月31日)
- ^ a b 杉山茂「電化目前の学園都市線と専用気動車のこと」『鉄道ファン』第615号、交友社、2012年7月、27頁。
- ^ 『JRガゼット』2009年10月号、交通新聞社
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、31頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b c d e 当別町史 昭和47年5月発行 880頁。
- ^ “月形当別線 とべ~る号時刻表”. 当別町. 2023年1月9日閲覧。
報道発表資料
編集- ^ a b 『札沼線(北海道医療大学・新十津川間)の鉄道事業廃止届の提出について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2018年12月21日。オリジナルの2018年12月24日時点におけるアーカイブ 。2018年12月24日閲覧。
- ^ a b 『札沼線(学園都市線)の電化について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2009年9月9日 。2009年9月14日閲覧。
- ^ 『札沼線(学園都市線)の電化開業時期について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2011年10月13日 。2011年10月17日閲覧。
- ^ 『札沼線(北海道医療大学・新十津川間)最終運行について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年4月16日。オリジナルの2020年4月16日時点におけるアーカイブ 。2020年4月16日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年12月10日閲覧。
- ^ 「札沼線(北海道医療大学・新十津川間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道株式会社、2017年12月8日 。2017年12月10日閲覧。
- ^ 「札沼線(北海道医療大学・新十津川間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、2018年7月2日。オリジナルの2017年12月31日時点におけるアーカイブ 。2018年7月4日閲覧。
- ^ “札沼線(北海道医療大学・新十津川間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員” (PDF). 全線区のご利用状況(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. 2020年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月20日閲覧。
- ^ “札沼線(北海道医療大学・新十津川間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人未満の線区(「赤色」「茶色」5線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
新聞記事
編集- ^ “札沼線・北海道医療大学―新十津川 20年5月7日に廃止”. 北海道新聞. (2018年12月8日). オリジナルの2018年12月17日時点におけるアーカイブ。 2018年12月8日閲覧。
- ^ “札沼線廃止、21日にも届け出 JR、沿線4町と覚書調印”. 北海道新聞. (2018年12月21日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。
- ^ “JR札沼線、北海道医療大学-新十津川間が廃止へ 2020年5月、地元と合意”. 毎日新聞. (2018年12月20日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。
- ^ “札沼線静かに廃止 新十津川-道医療大 駅名標を撤去”. 北海道新聞. (2020年5月7日). オリジナルの2020年5月14日時点におけるアーカイブ。 2020年5月14日閲覧。