下頓別駅
日本の北海道枝幸郡浜頓別町にあった北海道旅客鉄道の駅(廃駅)
下頓別駅(しもとんべつえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字下頓別にかつて置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はシト。事務管理コードは▲121907[2]。
下頓別駅 | |
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下頓別駅跡 (2011年8月5日) | |
しもとんべつ Shimo-Tombetsu | |
◄新弥生 (3.6* km) (3.2* km) 常盤► | |
所在地 | 北海道枝幸郡浜頓別町字下頓別 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 天北線 |
キロ程 | 51.6 km(音威子府起点) |
電報略号 | シト |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1918年(大正7年)8月25日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 |
天北線廃線に伴い廃駅 *キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった) |
歴史
編集- 1918年(大正7年)8月25日 - 鉄道院宗谷線中頓別駅 - 浜頓別駅間の延伸開通に伴い、開業[1]。一般駅[1]。
- 1919年(大正8年)10月20日 - 路線名を宗谷本線に改称し、それに伴い同線の駅となる。
- 1924年(大正12年) - ウツナイ川上流から駅土場へウツナイ森林軌道敷設。最長時(1936年)17.4キロ[3]
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し路線名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1944年(昭和19年) - ウツナイ森林軌道撤去。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線名が天北線に改称され、同線の駅となる。
- 1982年(昭和57年)6月1日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[1][4]。それに伴い列車交換設備の運用を停止し、同時に無人駅化[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
編集→「頓別」の由来については「頓別川」を参照
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[8]。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては単式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[8]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム中央部分に接していた。木造板壁で木枠の窓の駅舎であった[8]。
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1934年(昭和 | 9年)46 | [9] | ||
1951年(昭和26年) | 126 | |||
1961年(昭和36年) | 272 | |||
1965年(昭和40年) | 319 | |||
1971年(昭和46年) | 145 | |||
1978年(昭和53年) | 78 | [10] | ||
1981年(昭和56年) | 46 | [9] | ||
1985年(昭和60年) | 7 |
駅周辺
編集小さな集落がある。
- 北海道道586号豊牛下頓別停車場線
- 国道275号(頓別国道)
- 下頓別郵便局
- 浜頓別町立下頓別中学校
- 浜頓別町立下頓別小学校
- 頓別川[11]
- 宗谷バス天北宗谷岬線「下頓別」停留所
駅跡
編集1997年(平成9年)時点では、ホームのみ残存していた[12]。2010年(平成22年)時点でも同様で駅名標も設置されていた[13]が、駅名標はレプリカであり、そのほか信号機も設置されている[14]。
隣の駅
編集宇津内森林軌道
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脚注
編集- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、905-906頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236 。2023年2月11日閲覧。
- ^ 河野哲也「北海道の森林鉄道,殖民軌道」『 鉄道ピクトリアル』No.733
- ^ “日本国有鉄道公示第51号”. 官報. (1982年5月31日)
- ^ “「通報」●天北線下頓別駅ほか1駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1982年5月31日)
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、84頁。NDLJP:1029473。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、186頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)189ページより。
- ^ a b 浜頓別町史編集委員会 編『浜頓別町史』北海道出版企画センター、1995年3月。ISBN 978-4832895010。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、893頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTBパブリッシング、1997年12月発行)25ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)17ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)247-248ページより。