下永尚
日本の映画音響ミキサー
下永 尚(しもなが ひさし[1]、1912年12月13日[2] - 1998年)は、日本の映画音響ミキサー。熊本県出身。愛称は「シモショウ」[1]。
しもなが ひさし 下永 尚 | |||||
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生年月日 | 1912年12月13日 | ||||
没年月日 | 1998年 | ||||
出生地 | 大日本帝国・熊本県 | ||||
死没地 | 日本・東京都 | ||||
民族 | 日本人 | ||||
職業 | 録音技師 | ||||
活動期間 | 1938年 - 1970年 | ||||
配偶者 | あり | ||||
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来歴
編集人物
編集映画監督・特殊メイクアーティストの原口智生は遠縁にあたり、孫のように可愛がっていたという[3]。
映画監督の本多猪四郎とは、中学生時代にロシア音楽評論家の中根広のもとで知り合っており、東宝入社後は家族ぐるみの付き合いになったという[1]。
主な作品
編集録音
編集- 花束の夢(1938年)
- はたらく一家(1939年)
- 母の地図(1942年)
- 一番美しく(1944年)
- 女の顔(1949年)
- 夫婦(1953年)
- 青色革命(1953年)
- 山の音(1954年)
- 芸者小夏(1954年)
- 晩菊(1954年)
- ゴジラ(1954年)[2]
- 浮雲(1955年)
- くちづけ(1955年)
- 白夫人の妖恋(1956年)
- 与太者と若旦那(1956年)
整音
編集- 隠し砦の三悪人(1958年)
- 上役・下役・ご同役(1959年)
- コタンの口笛(1959年)
- 孫悟空(1959年)
- 日本誕生(1959年)
- サザエさんの新婚家庭(1959年)
- 女が階段を上る時(1960年)
- 悪い奴ほどよく眠る(1960年)
- 用心棒(1961年)
- 真紅の男(1961年)
- 新入社員十番勝負(1961年)
- 紅の海(1961年)
- 世界大戦争(1961年)
- 黒い画集 第二話 寒流(1961年)
- 続新入社員十番勝負 サラリーマン一刀流(1962年)
- 椿三十郎(1962年)
- 若大将シリーズ
- 妖星ゴラス(1962年)
- ゴジラシリーズ
- キングコング対ゴジラ(1962年)[2]
- モスラ対ゴジラ(1964年)
- 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年)
- 怪獣大戦争(1965年)
- ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年)
- 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年)
- 怪獣総進撃(1968年)
- ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年)[2]
- 太平洋の翼(1962年)
- 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年)
- 天国と地獄(1963年)
- 青島要塞爆撃命令(1963年)
- マタンゴ(1963年)
- 海底軍艦(1963年)
- 乱れる(1964年)
- 宇宙大怪獣ドゴラ(1964年)
- 赤ひげ(1965年)
- フランケンシュタイン対地底怪獣(1965年)
- 香港の白い薔薇(1965年)
- フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966年)
- 上意討ち 拝領妻始末(1967年)
- キングコングの逆襲(1967年)
- 乱れ雲(1967年)
- 連合艦隊司令長官 山本五十六(1968年)
- 緯度0大作戦(1969年)
受賞歴
編集脚注
編集- ^ a b c 「本多猪四郎監督 長編インタビュー(2)」『ゴジラ/ゴジラの逆襲/大怪獣バラン』東宝出版事業部〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.3〉、1985年5月1日、228-229頁。ISBN 4-924609-07-2。
- ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「12月13日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、358頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- ^ 「Pickup Interview 原口智生」『別冊映画秘宝 円谷プロSFドラマ大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2013年、150頁。ISBN 978-4-8003-0209-0。
参考文献
編集- 井上英之『検証・ゴジラ誕生―昭和29年・東宝撮影所』朝日ソノラマ、1994年。ISBN 4257033940。