下曾根出羽守
戦国時代の武将
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下曾根 出羽守(しもそね でわのかみ)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 出羽守。中務大輔 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 武田信虎 |
氏族 | 下曾根氏 |
父母 | 父:下曾根信文?、母:不詳 |
生涯
編集下曽根家は武田信重の子・賢信を祖とする武田家庶流の一門である[1]。諱は信照(のぶてる)か。
武田信虎の時代から仕えた武田家の重臣で、永正17年(1520年)の都塚の戦い、今諏訪の戦いでは曽根昌長と共に信虎軍の大将として活動し、武功を挙げて勝利に貢献している[1]。
天文9年(1540年)5月19日付で下曾根源六郎(下曾根浄喜)により高野山成慶院で供養が行われており、信虎期までに死去した事は明らかである[1]。下曾根実際寺の位牌に没日が廿日とあるため[2]、某年の20日に死去したらしい。この位牌には中務大輔ともあり[2]、官途であると思われる。
脚注
編集参考文献
編集- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年。ISBN 978-4-404-03423-6。