下佐谷村助六
下佐谷村 助六(しもさやむら すけろく、? - 安永8年9月16日(1779年10月25日))は、江戸時代中期の一揆指導者、義民[1][2]。通称、与惣左衛門[1]。
経歴・人物
編集大身旗本(交代寄合)である本堂氏の知行地(志筑藩参照。当時の領主は本堂親房)であった常陸国新治郡下佐谷村(現在の茨城県かすみがうら市下佐谷)の百姓[1]。増税に反対した志筑藩領の25の村の百姓が集まり、安永7年12月28日(1779年2月14日 )領主の江戸屋敷に押しかけ強訴した助六一揆を指導[1][2]。頭取として捕えられ獄門に処された[2]。
首は下佐谷村でひそかに埋葬され、「助六の首塚」としてかすみがうら市指定文化財となっている[3]。