上野 (上尾市)
上野(うえの)は、埼玉県上尾市の大字。郵便番号は362-0058[3]。
上野 | |
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北緯35度56分42.05秒 東経139度33分39.42秒 / 北緯35.9450139度 東経139.5609500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 上尾市 |
地区 | 平方地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.9193[1] km2 |
人口 (2019年(平成31年)1月1日現在)[2] | |
• 合計 | 2,373人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
362-0058[3] |
市外局番 | 048(浦和MA)[4][5] |
ナンバープレート | 大宮 |
座標の場所は上野集落センター |
市の統計などでは平方地区で分類されている。
地理
編集埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南西部の大宮台地上[6]に位置する南北に長く農地的土地利用の比重が高い地区である[7]。東側を平方領領家、南側を上野本郷や平方領領家の飛地、西側を西貝塚、北側を平方と接する。地区の北西端の低地を中堀川(上尾中堀川)が流れる。 地区内は北部の上尾川越線沿線付近(道路の南北50 mが市街化区域[7])を除き市街化調整区域[8]で農地が多く残り、屋敷森のある農家も数多く所在する。1880年代は農地の割合が62.2 %(田17.2 %、畑45.0 %)、宅地が5.6 %で、山林の割合が平方地区では最広の27.2 %であった[9][注釈 1]。
地内の秀明英光高等学校周辺に天沼遺跡(県遺跡番号:14-210[8])などがあり、石器・土器片などの遺物や土壙および住居跡などの遺構が発掘されている。
地価
編集住宅地の地価は、2018年(平成30年)の公示地価によれば、大字上野字三塚83-16の地点で8万1000円/m2となっている[10]。
歴史
編集もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する上野村であった[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では305石余(田129石余、畑175石余)[11]、『元禄郷帳』によると274石余、『天保郷帳』によると258石余であった[6]。化政期の戸数は30軒で、村の規模は東西12町、南北20町余であった[6]。地名は段丘面(台地)上の原野を意味するものと云われている[6][9]。 1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米77.2石、大麦214.8石、小麦17.5石であった[12]。
- はじめは幕府領、1625年(寛永2年)[注釈 2]より岩槻藩領[6]。なお検地は1694年(元禄7年)に実施。
- 1681年(天和元年)より再び幕府領(代官支配地)となる[6][9]。
- 幕末の時点では足立郡上野村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[6][13][14]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第19区に属す[16][17]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した平方村連合に属す。連合戸長役場は平方村に設置[18]。
- 1885年(明治18年) - 上尾と川越を結ぶ道路を改良して県道(現在の埼玉県道51号川越上尾線)として開通する[19]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上野村を含む区域をもって平方村が成立。平方村大字上野となる[20]。
- 1928年(昭和3年)11月1日 - 平方村の町制施行により、平方町の大字となる[21]。
- 1955年(昭和30年)11月1日 - 町村合併促進法の施行に伴い、平方町が上尾町・原市町・大石村・大谷村・上平村と合併により新たな上尾町となり、上尾町の大字となる[21]。
- 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行され[21]、上尾市の大字となる。
- 1967年(昭和42年) - 地内の1055番地の3の場所に「つつじが丘幼稚園」が認可される[22]。
- 1979年(昭和54年)3月31日 - 地内の「万治二年銘庚申塔」が市の有形民俗文化財に指定される[23]。
- 1981年(昭和56年)4月 - 地内に秀明上尾高等学校(現秀明英光高等学校)が開校する[24]。
- 1997年(平成9年)4月 - 地内を通る県道川越上尾線にバイパスが建設され開通する[25]。旧道は市道に格下げ。
- 2004年(平成16年) - 地区西部を流れる上尾中堀川の護岸改修工事を行なう[26]。
存在していた小字
編集世帯数と人口
編集2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大字上野 | 1,122世帯 | 2,373人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[29]。
大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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大字上野 | 全域 | 上尾市立平方小学校 | 上尾市立太平中学校 |
交通
編集地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅はJR東日本高崎線上尾駅であるが、大字上野字三塚83-16の地点よりおよそ4.5 km[10]離れている。地域によっては川越線指扇駅が近い場合もある。何れも徒歩圏ではない。
道路
編集- 埼玉県道51号川越上尾線 - 旧県道17号川越上尾線(1960年9月1日より[30])
- 埼玉県道57号さいたま鴻巣線 - 旧県道66号井戸木中野林浦和線(1960年9月1日より)
- 埼玉県道216号上野さいたま線 - 旧県道153号大宮平方線(1960年9月1日より)
バス
編集平方地区はバス路線の要衝で、上尾駅西口のほか、大宮駅西口や川越駅東口や指扇駅北口方面への路線バスが多数運行されている。
- 東武バスウエスト上尾営業所
- 地区内は「平方上野」、「リハビリセンター入口」、「本村」、「貝塚」バス停留所が設置されている[31]。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」[32]
- 平方小敷谷循環
- 地区内は「三塚公園」、「平方上野」、「上野北」、「上野東」、「平方スポーツ広場南」バス停留所が設置されている。
町内会
編集施設
編集上野村の頃は神社は神明社のほか、天王社[6]や複数の稲荷社(1873年(明治6年)に神明社に合祀)が鎮座していたが、地内に神社は存在しない。旧平方村で村内にある神社の合祀が1908年(明治41年)5月に行われたためである[34][35]。合祀先は平方の氷川神社で、1909年(明治42年)9月25日に合祀祭が挙行され[34]、橘神社に改称された[36]。寺院では薬師堂や大日堂が設立されていた[6]。地内の上野317-1の場所に「万治二年銘庚申塔」(市指定有形民俗文化財)がある[8]。
脚注
編集脚注
編集出典
編集- ^ “統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2019年5月30日). 2020年5月29日閲覧。
- ^ a b “町丁大字別人口表”. 上尾市役所 (2019年2月4日). 2019年4月30日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年4月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年4月30日閲覧。
- ^ “単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』131-132頁。
- ^ a b 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』341-347頁。
- ^ a b c 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市役所(2014年9月5日).2019年4月30日閲覧。
- ^ a b c d 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』328-334頁。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査.2019年4月30日閲覧。
- ^ 東京市『東京市史稿. 市街篇第六附錄』東京市、1928年、80-81頁 。
- ^ 『上尾百年史』 250-254頁。
- ^ 『上尾百年史』 24頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 『上尾百年史』 610-615頁。
- ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』117-123頁。
- ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
- ^ 『上尾百年史』 561頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』653頁。
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1421頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 744頁。
- ^ “上尾の指定・登録文化財一覧” (2021年3月12日). 2021年11月21日閲覧。
- ^ “設立の経緯”. 秀明英光高等学校. 2019年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月30日閲覧。
- ^ “上尾市のあゆみ - 統計あげお平成23年版” (PDF). 上尾市役所. pp. 135-144 (2012年3月). 2014年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月10日閲覧。
- ^ “上尾市都市計画マスタープラン2010”. 上尾市役所. pp. 4-5 (2011年3月). 2020年7月26日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1389頁。
- ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿.
- ^ “市内小・中学校通学区一覧”. 上尾市役所 (2018年4月1日). 2019年4月30日閲覧。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 557-558頁(原典は県告知第六五二号)。
- ^ 路線図 (PDF) - 東武バス.2019年4月30日閲覧。
- ^ ぐるっとくん 上尾市内循環バスROAD案内マップ (PDF) - 上尾市役所.2020年5月29日閲覧。
- ^ “自治会・町内会・区会に加入しましょう”. 上尾市役所 (2021年3月15日). 2022年5月2日閲覧。
- ^ a b 『上尾百年史』 604-609頁
- ^ “上尾の寺社 10 橘神社(平方)”. 上尾市教育委員会 (2014年3月1日). 2020年6月11日閲覧。
- ^ 広報広聴課「上尾歴史散歩309 神社の動向 - 明治後期の神社合祀 -」『広報あげお 平成28年12月号』第993号、上尾市役所、2016年12月、35頁、2020年6月9日閲覧。
- ^ “指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年5月2日閲覧。
- ^ 「ころぽっくる第二保育園」が開園します - 社会福祉法人彩光会あけぼの(2014年7月8日). 2019年4月30日閲覧。
- ^ 地図 - Google マップ
参考文献
編集- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 「上野村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/40。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
編集外部リンク
編集- あげおガイド アピマップ - 上尾市役所
- 上尾の古い地名を歩こう41 -上野地区から上野本郷地区へ歩く- - 上尾市役所