上田 武司(うえだ たけし、1946年3月16日 - )は、兵庫県西宮市[1]出身の元プロ野球選手投手内野手)・コーチ評論家

上田 武司
敦賀気比高等学校 臨時コーチ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県西宮市
生年月日 (1946-03-16) 1946年3月16日(78歳)
身長
体重
183 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手遊撃手二塁手三塁手
プロ入り 1964年
初出場 1967年9月6日
最終出場 1978年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴

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鳴尾高校ではエースとして活躍。3年次の1963年5月には、同年に夏の甲子園で優勝する明星高との練習試合で好投し、注目を浴びる。夏季兵庫大会では準々決勝に進出するが、宮本幸信、後にプロでチームメイトとなる吉田孝司のバッテリーを擁する市神港高に敗退。

卒業後の1964年読売ジャイアンツへ入団[1]

1965年に内野手へ転向[1]1967年にはイースタン・リーグで打率.356をマークして首位打者[1]、本塁打王にも輝いて二冠を獲得。

1969年9月8日アトムズ戦(神宮)で浅野啓司から6年目で初のソロ本塁打を放つ。この時の試合は、1回裏から小淵泰輔の適時打、3回裏にはデーブ・ロバーツの2ラン本塁打と序盤で3点を失い、さらに4回、6回と2点ずつを失って0-7と大差のビハインドとなり、7、8回に1点ずつ返し、9回に上田がソロ本塁打するも、時すでに遅く3-7で敗れている[2]V9時代には内野ならどこでも守れるスーパーサブとして活躍し、長嶋茂雄からは「ジョージ・ベンチ(常時ベンチにいることから、ジョニー・ベンチを捩ったもの)」と呼ばれた。

黒江透修土井正三に衰えが見られるようになった1971年には、6月から主に遊撃手として起用され54試合に先発出場。7月11日中日戦(後楽園)では前半から巨人先発の堀内恒夫、中日先発の川内八洲男が好投し0-0で迎えた6回裏に高田繁の適時二塁打で1点が入ってから試合は動き、7回表には大島康徳の適時打で同点、さらに木俣達彦の適時打で逆転、上田の悪送球でもう1点失って1-3とリードを許すが、その裏に上田がミスを取り返す左中間へのソロ本塁打で1点差に迫り、土壇場の9回裏1死3塁で打席に立った上田が川内をリリーフした伊藤久敏から左翼へサヨナラ2点本塁打を放つ。上田はこの年の全本塁打をこの日だけで記録することになった[2]。同年の阪急との日本シリーズでは、10月17日の最終第5戦(後楽園)で7番打者として先発、5回に足立光宏からダメ押しの2点適時二塁打を放ちチーム日本一に力を添える。

1973年には遊撃手、二塁手として57試合に先発出場、9月には遊撃手に定着しチームのリーグ優勝に貢献。V9を達成した同年の南海との日本シリーズでは全5試合に出場。2試合に遊撃手として先発し、10月28日の第2戦(大阪)では3安打、南海先発の山内新一から6回に本塁打を放つ。

1974年には黒江・土井の不調もあって2番打者としても起用され、打率.266、6本塁打の好成績を残す。6本中4本は中日・ヤクルトから2本ずつ放ったものであり、8月18日のヤクルト戦(後楽園)では石岡康三から3年ぶりのサヨナラ本塁打を記録[2]

1975年まで準レギュラーとして活躍するが、河埜和正が遊撃手に定着し、デービー・ジョンソンが二塁手にコンバートされると出場機会が減る。

1977年7月31日阪神戦(甲子園)で山本和行から3年ぶりで現役最後の本塁打を放っているが、試合は序盤から阪神ペースで、1回裏に藤田平が先頭打者本塁打、3回裏にはまたも藤田の2ラン本塁打と掛布雅之の犠飛で3点と巨人先発の小林繁をKO。4回表に上田の適時打で1点を返し、9回表にはまたも上田がソロ本塁打と、上田が3打数3安打2打点の活躍であったものの他の打者で得点できず、10安打放ちながら山本の粘投に躱され2-4で敗れている[3][2]

1978年限りで引退。

引退後は巨人で一軍守備コーチ(1979年 - 1980年, 1987年 - 1992年)、二軍守備コーチ(1981年 - 1986年)、二軍育成チーフコーチ(1993年 - 1994年)→二軍内野守備コーチ(1995年[1]→スカウト(1996年 - 2007年)→ファンサービス部長(2008年)を務めた。コーチ1年目の1979年オフには「地獄の伊東キャンプ」に帯同して若手を指導し、3度のリーグ優勝と1989年の日本一に貢献。スカウト時代は上原浩治高橋由伸阿部慎之助内海哲也亀井義行を担当し、退団後は内外タイムス→リアルスポーツ評論家(2009年[4] を経て、2018年4月より敦賀気比高校臨時コーチ[5][6]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1967 巨人 10 19 18 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .167 .211 .167 .377
1968 5 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1969 12 23 21 6 5 1 0 3 15 3 1 1 0 0 2 0 0 3 0 .238 .304 .714 1.019
1970 37 15 14 8 2 0 0 0 2 0 2 0 1 0 0 0 0 2 0 .143 .143 .143 .286
1971 79 213 183 26 48 10 1 2 66 15 6 4 6 0 17 0 7 20 5 .262 .348 .361 .708
1972 42 72 60 4 10 1 0 1 14 3 0 1 1 0 9 1 2 10 3 .167 .296 .233 .529
1973 93 224 202 21 46 8 0 2 60 17 1 3 5 1 14 1 2 33 4 .228 .284 .297 .581
1974 93 217 184 29 49 8 0 6 75 30 6 2 8 5 11 0 9 23 4 .266 .338 .408 .746
1975 72 205 176 15 33 5 1 0 40 9 2 1 4 2 18 0 5 30 3 .188 .281 .227 .509
1976 61 26 21 6 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 5 0 0 7 0 .048 .231 .048 .278
1977 63 65 56 7 16 3 1 1 24 9 1 0 5 0 3 0 1 10 1 .286 .333 .429 .762
1978 49 36 24 4 2 1 0 0 3 3 1 0 4 1 3 0 4 4 1 .083 .290 .125 .415
通算:12年 616 1116 960 127 215 37 3 15 303 89 20 13 34 9 83 2 30 146 21 .224 .306 .316 .621

記録

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背番号

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  • 57 (1964年 - 1969年)
  • 2 (1970年 - 1978年)
  • 67 (1979年 - 1980年)
  • 74 (1981年 - 1995年)

関連情報

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著書

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  • プロ野球スカウトが教える一流になる選手 消える選手 (2010/4・祥伝社ISBN 4396315090
  • プロ野球スカウトが教える ここ一番に強い選手ビビる選手(2012/10・祥伝社) ISBN 4396315902

脚注

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関連項目

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外部リンク

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