上田孝吉
上田 孝吉(うえだ こうきち、1886年(明治19年)9月18日[1] – 1952年(昭和27年)8月16日[2])は、日本の政治家で立憲政友会所属の衆議院議員、弁護士。
経歴
編集石川県石川郡金石町(現在の金沢市)に扇能長平の二男として生まれ、上田喜久代の養子となった[3]。1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、弁護士となった。大阪市で市会議員を務め、参事会員、副議長を歴任した。
1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。5回連続当選を果たした。その間、平沼内閣で逓信参与官を、鈴木貫太郎内閣で農商政務次官をそれぞれ務めた。
脚注
編集参考文献
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