上林ホテル仙壽閣
長野県山ノ内町にある宿泊施設
上林ホテル仙壽閣(かんばやしホテルせんじゅかく)は、長野県下高井郡山ノ内町の上林温泉にある高級ホテル。長野電鉄子会社の長電ホテルズが運営する。
上林ホテル仙壽閣 | |
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上林ホテル千壽閣 | |
ホテル概要 | |
正式名称 | 上林ホテル仙壽閣 |
ホテルチェーン | 長野電鉄ホテルチェーン |
運営 | 株式会社長電ホテルズ |
前身 | 仙壽閣 → 上林ホテル |
階数 | 1 - 3階 |
レストラン数 | 2軒 |
部屋数 | 34室 |
開業 | 1928年(昭和3年)8月2日 |
最寄駅 | 長野電鉄長野線 湯田中駅 |
最寄IC | E18 上信越道 信州中野IC |
所在地 |
〒381-0401 長野県下高井郡山ノ内町平穏1410 |
位置 | 北緯36度43分47.1秒 東経138度26分35.5秒 / 北緯36.729750度 東経138.443194度座標: 北緯36度43分47.1秒 東経138度26分35.5秒 / 北緯36.729750度 東経138.443194度 |
公式サイト | 公式サイト |
概要
編集志賀高原の玄関口・上林温泉にある、老舗和風ホテル。本館・離れと、2つの日本庭園から成る。皇族の利用が多い高級ホテルである。
志賀高原を開発した長野電鉄創業者・神津藤平が、開発第二拠点として上林温泉に着目。元々あった旅館「仙壽閣」を買収し、遊園地・温泉プールなどを整備して開業したのが始まりである[1]。当時から和風建築にアールヌーボー調の表現を取り入れた「和魂洋才」の宿であり、現在にもその空気が引き継がれている。
沿革
編集- 1927年(昭和2年)9月 - 長野電鉄が、塚田嘉太郎より「仙壽閣」を買収。上林遊園地工事着手
- 1928年(昭和3年)8月2日 - 上林ホテル開館(長野電鉄株式会社直営)
- 1935年(昭和10年)12月6日 - 本館新築
- 1947年(昭和22年)12月27日 - 連合軍により接収される
- 1951年(昭和26年)
- 1958年(昭和33年)4月11日 - 火災により本館焼失
- 1963年(昭和38年)12月27日 - 政府登録国際観光旅館に認定
- 1988年(昭和63年)4月30日 - 長野電鉄(株)の子会社として、株式会社上林ホテル仙壽閣設立
- 1989年(平成元年)4月28日 - 上林ホテル仙壽閣としてリニューアルオープン
- 2004年(平成16年)9月 - 長野電鉄(株)の子会社として、株式会社長電パークリゾート設立。ホテルの経営が同社に移管される
- 2005年(平成17年)2月 - (株)上林ホテル仙壽閣が、長野電鉄(株)に合併される
- 2017年(平成29年)7月3日 - 長野電鉄(株)の子会社として、株式会社長電ホテルズ設立。ホテルの経営が同社に移管される
施設
編集- 客室
- 本館(16帖和室) - 27室
- 温泉付A(12.5帖和室+9.5帖和室+温泉内湯) - 2室
- 温泉付B(10帖和室+6帖和室+4帖和室+温泉内湯) - 1室
- 離れ(10帖和室+ワードローブ) - 4室
- 浴場
- 露天風呂(男女別)
- 大浴場(男女別)
- 貸切露天風呂「福寿の湯」
- 貸切露天風呂「仙華の湯」
- 温水プール
- レストラン「鹿鳴」
- 席亭「竹葉」「青松」「釣月」「雲間」「洞天」「聴泉」
- 広間「白雲」
- 談話室
- 売店
仙壽閣コレクション
編集戦前から多くの文化人が集った宿らしく、ロビーをはじめ館内にはいたるところに様々な書画が飾られている[2]。
以下にWikipediaにおいて項目化されている作者のみ挙げる(五十音順)。
アクセス
編集周辺の観光地
編集-
地獄谷野猿公苑
-
夏の志賀高原
-
冬の志賀高原
-
渋温泉
-
湯田中温泉
かつての運営企業
編集種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒381-0401 長野県下高井郡山ノ内町平穏1410 |
設立 | 2004年(平成16年)9月 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | ホテル業 |
資本金 | 1,000万円 |
主要株主 | 長野電鉄株式会社 100% |
特記事項:2017年(平成29年)10月10日解散 |
株式会社長電パークリゾート(ながでんパークリゾート)は、長野県下高井郡山ノ内町に本社を置いていた、上林ホテル仙壽閣の旧運営企業。ながでんグループの傘下企業で、長野電鉄の完全子会社であった。
長野電鉄ホテルチェーンのうち志賀高原地区3館の運営を担う会社として設立されたが[3]、うち1館はグループ外に売却され、1館は閉館となった。そして唯一残った事業である上林ホテル仙壽閣の運営も、2017年(平成29年)のながでんグループ再編に伴い、当社と長野電鉄株式会社の共同新設分割により設立された株式会社長電ホテルズに移管した[4]上で解散した[5]。
沿革
編集脚注
編集関連項目
編集- 長野電鉄ホテルチェーン