三隅哲雄
実業家
三隅 哲雄(みすみ てつお、1878年(明治11年)11月12日[1] – 1949年(昭和24年)2月12日[1][2])は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集山口県厚狭郡、のちの厚南村[1][3](現宇部市)で、豪農・三隅城介の長男として生まれる[1][3]。山口中学校(現山口県立山口高等学校)を卒業[1][3]。
1902年(明治35年)厚狭郡青年会を組織し、農会の活動にも参画した[1][3]。1912年(明治45年)長門銀行の第3代頭取に就任し、1918年(大正7年)まで在任[1][3]。その他、宇部軽便鉄道取締役、船木軽便鉄道取締役、美弥軽便鉄道監査役、山口県農会副会長、厚狭郡農会長、防長米同業組合副組長などを務めた[2][3]。
政界では、山口県会議員、同参事会員を務めた[1][2][3]。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に山口県郡部から出馬して当選し[1][3]、次の第13回総選挙でも再選され、衆議院議員を連続2期務めた[1][2][3]。
脚註
編集参考文献
編集- 山口県教育会編『山口県百科事典』大和書房、1982年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 中西輝磨『昭和山口県人物誌』マツノ書店、1990年。