三宅彰 (音楽プロデューサー)

三宅 彰1955年〈昭和30年〉7月20日 - )は、日本音楽プロデューサー、ボーカルプロデューサー/ディレクター、音楽コンサルタント福岡県飯塚市生まれ。

三宅 彰
生誕   (1955-07-20) 1955年7月20日(69歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県飯塚市
職業

略歴

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福岡県飯塚市生まれ。大学卒業後、東芝EMI に入社。 仕事内容:制作・宣伝統括プロデュース。制作一筋に30 年以上、EMIミュージック・ジャパン邦楽取締役に就任。 プレイング・マネージャーとして活動後、独立。 2014年に新たな音楽ビジネスのスタイルを構築するために新会社、株式会社アレグロ・モデラートを設立し、代表取締役を務める。

主な担当アーティスト

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宇多田ヒカルのデビューより「SCIENCE FICTION」に至るまでプロデュース、ボーカルディレクションを行う。

その他担当したアーテイスト

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クリエイションカルメン・マキ 5Xザ・ゴールデン・カップス矢沢永吉佐藤隆NOBODY伊藤咲子早見優ベッキー吉井和哉ももすももすハルカハミングバード他。

ボーカルディレクションとして、米津玄師Lemon」「感電」「ピースサイン」など、菅田将暉まちがいさがし」、カイト」、Foorinパプリカ」、吉岡聖恵夏色のおもいで」、HANDSIGN「僕が君の耳になる」等を手がける。

人物

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スタッフ勉強会「あすのためへ」より

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  • 技術を磨くのも大事だけど、我々が売っているのは「感動」。感動が技術を勝る。でもその裏付けになるのもやっぱり技術で、歌は磨いていくことが大事。と発言している。
  • 「マイクは歌の魔法」。U49マイクのすばらしさを語る。 U67を良く使うし、ソニー800Gも良いマイク。近年はチャンドラー社とアビーロード・スタジオが共同開発した真空管マイク「REDD」(U47に近いサウンド)も使っていると話す。

宇多田ヒカルオフィシャルHP「Message from STAFF」より

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  • 「あなたを動物に例えると?またその理由は?」に対して「イルカ=寛容」。
  • 「いまこの仕事をしてなかったとしたら何になりたかった?またその理由」という質問には「カウンセラー(今の仕事とあまり変わらないかな?)」。

bayfm『Mind of Music』の「田家秀樹のアーティスト列伝」第三弾<宇多田ヒカル特集。>のインタビューより

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  • 「Automatic」ができた時にシングルにしようと決めていた。しかし、「time will tell」がFMでTop3ヒットしてたので揺れてた。考えた末、「time will tell」は夏の歌で、「Automatic」は冬の歌。デビューは冬なんだから「Automatic」でいこうと決める。スタッフには反対されたが、ヒカルと宇多田社長は賛同してくれた。
  • 「Automatic」MVについて。「カメラが腰くらいの位置にあったから、彼女、頭が切れちゃうと思ったからしゃがんで歌ったんじゃないかな(って僕は思いました)。当時は撮影のこともよくわかってなかったから、それで低い位置で踊ってたんじゃないかと。天井は低くなかったです(笑)」
  • 「日本の歌手と違うのは、息で歌うところ。洋楽でもアレサフランクリンホイットニーヒューストンの時代にはそんなにない、マライア・キャリーブランディの時代の話。息を溜めて使って歌うことも声を張り上げることもできる。それが宇多田ヒカルの歌だった。」
  • 「プロデューサーとしてテーマを投げる。アダムとイブの純愛を書いてみないかと提案したが、一週間して「書けない」といわれた。私にとって男女のヒーローはボニー&クライドだから、そっちを書きたいと。そうして出来上がったのが『B&C』」

その他エピソード

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  • いろんなロックを今まで担当してきたけど、宇多田ヒカル以降女性アーティストしか頼まれなくなった。売り込みも女性歌手ばかりになってしまった。のちに米津玄師のヴォーカルディレクションをやることになるが。
  • アルバム「First Love」バックオーダー125万枚のエピソード。
    • 当時、EMIのコンピュータにバックオーダーの100万の桁がなかったので最初の表示は15万枚だった。それもすごい数字だか。それをきっかけで100万の桁を表示するようになったんだけど、それ以降使うことはなかった…。
    • 「First Love」アルバムの発売日、レコード店のレジにほとんど「First Love」のアルバムを持って何十人も並んでいたのが強烈な印象でした。

出演メディア

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  • 「三宅彰×加茂啓太郎対談」2人が考える“音楽プロデューサーの役割”[1]
  • 「ここでしか聞けない楽曲制作秘話が満載! 宇多田ヒカル20年の軌跡をハイレゾ楽曲で綴る」[2]

脚注

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出典

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外部リンク

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