三原永道
平安時代初期から前期にかけての貴族
三原 永道(みはら の ながみち)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。参議・三原春上の子か。官位は従五位上・摂津権守。
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・摂津権守 |
主君 | 文徳天皇→清和天皇→陽成天皇 |
氏族 | 三原氏 |
父母 | 父:三原春上? |
経歴
編集従五位下に叙爵ののち、嘉祥4年(851年)伯耆守に任ぜられる。その後も、天安3年(859年)出雲守、貞観7年(865年)播磨守と文徳朝から清和朝にかけて地方官を歴任した。この間、播磨守在任中の貞観8年(866年)には、同国の夷俘長であった宇賀古秋野・尺漢手纒らが国境を越えて近江国に不当に滞在している旨の報告があり、夷俘の管理を強化して自由に国境を越えて往来させないよう太政官符が下されている[1]。
官歴
編集『六国史』による。
脚注
編集- ^ 『日本三代実録』貞観8年4月11日条