三井徳宝
三井 徳宝(みつい とくほう、1875年(明治8年)10月16日[1] - 1952年(昭和27年)4月5日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
三井徳宝 みつい とくほう | |
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生年月日 | 1875年10月16日 |
出生地 |
日本 山梨県北巨摩郡清春村 (現・山梨県北杜市) |
没年月日 | 1952年4月5日(76歳没) |
前職 | 実業家 |
所属政党 | 立憲政友会 |
選挙区 | 北海道第5選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1930年 - 1937年2月16日 |
第7代 北海道会副議長 | |
在任期間 | 1910年11月 - 1913年11月 |
選挙区 | 河西支庁選挙区 |
帯広町会議員 |
経歴
編集山梨県北巨摩郡清春村で[3]三井泉林の長男として生まれる[4]。漢学を修める[2]。1893年、帯広に移り銅鉄金物店を開業[3]。その後、野付牛町の開拓に関わり、農業、鉱山業も手掛ける[2]。北海林産取締役、北海農産工業取締役、北海道造営取締役、北海道拓殖監査役などを務めた[2][4]。
政界では、帯広町会議員、相続税審査員、所得調査委員、北海道会議員(河西支庁選出[5])、同副議長(1910年11月から1913年11月まで[5])を歴任[2]。1928年2月の第16回衆議院議員総選挙で北海道第5区から立憲政友会所属で出馬し当選[2]。その後、第17回から第19回総選挙まで三回連続で当選し、衆議院議員を通算四期務めたが[2]、任期途中の1937年2月16日に議員を辞職した[6]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、1928年。