ロバート・カリュー (第3代カリュー男爵)
第3代カリュー男爵ロバート・シャップランド・ジョージ・ジュリアン・カリュー(英語: Robert Shapland George Julian Carew, 3rd Baron Carew、1860年6月15日 – 1923年4月29日)は、イギリスの貴族。
生涯
編集第2代カリュー男爵ロバート・シャップランド・カリューと妻エミリー・アン(Emily Anne、旧姓フィリップス(Philips)、1899年11月24日没、第2代準男爵サー・ジョージ・リチャード・フィリップスの娘)の長男として、1860年6月15日にダブリンのフィッツウィリアム・スクエア61号で生まれた[1]。1879年6月11日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1883年にB.A.の学位を修得した[2]。
1881年9月8日に父が死去すると、カリュー男爵位を継承した[1]。議会では自由統一党に属した[1]。
ウェックスフォード県の副統監を務めた[2]。
1883年時点でウェックスフォード県に17,830エーカーの、ウォーターフォード県に2,038エーカーの、クイーンズ・カウンティ(現リーシュ県)に1,098エーカーの領地を所有し、合計で年収11,862ポンド相当だった[1]。
1923年4月29日に死去[2]、弟ジョージ・パトリック・ジョンが爵位を継承した[3]。
家族
編集1888年6月27日、ジュリア・メアリー・レスブリッジ(Julia Mary Lethbridge、1863年10月9日[4] – 1922年9月28日、アルバート・アーサー・エリン・レスブリッジの長女)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[5]。
出典
編集- ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 22.
- ^ a b c "Carew, the Hon. Robert Shapland George Julian. (CRW879RS)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ "Carew, George Patrick John. (CRW882GP)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Morgan, Henry James (1903). Types of Canadian Women and of Women who are or Have Been Connected with Canada (英語). Vol. 1. Toronto: William Briggs. p. 43.
- ^ Pine, Leslie G., ed. (1956). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (101st ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 380.
関連図書
編集- ウィキソースより。 . (英語). Dublin: Alexander Thom and Son Ltd. 1923. p. 32.
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Robert Carew
- ロバート・カリュー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
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