レタウニツァ・ブラトウ・ゴリシェク
レタウニツァ・ブラトウ・ゴリシェク(Letalnica bratov Gorišek、「ゴリシェク兄弟フライングジャンプ台」の意味)はスロベニア北西部プラニツァに位置するスキージャンプ/スキーフライング競技場。2011年にノルウェーのヴィケルスンジャンプ競技場が改修されるまでは世界最大のジャンプ台で、ここの最長飛距離が世界記録とされていた。その当時のK点は185m、ヒルサイズは215mであった。また現在でもスキーフライングという種目を象徴するジャンプ台として聖地的存在となっている。
レタウニツァ・ブラトウ・ゴリシェク | |
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施設情報 | |
所在地 | |
国 | スロベニア |
自治体 | プラニツァ |
開場 | 1969年3月21日 |
改修 | 1979年、2000年、2003年、2005年 |
拡張 | 1985年、1994年、2015年 |
サイズ | |
K点 | 200 m |
ヒルサイズ | 240 m |
ヒルレコード |
252.0 m 小林陵侑 (2019年3月24日) |
大会 | |
世界選手権 | スキーフライング世界選手権(1972年、1979年、1985年、1994年、2004年、2010年) |
ワールドカップ | 2017/18 男子第29-31戦(FHx2, T) |
例年3月にスキージャンプ・ワールドカップの最終戦シリーズが行われるほか、スキーフライング世界選手権が過去8回行われている。
2014/2015年シーズンのスキージャンプ・ワールドカップの最終戦シリーズで改修されたK点200m、ヒルサイズ225mのジャンプ台で公式戦が行われた。FISの認証は2015年3月12日に行われている[1]。
2018年からヒルサイズの値は240mに変更された。
ジャンプ台の歴史
編集プラニツァで最初のジャンプ台は1930年、ポンツァ山の斜面に建設された。 1934年、スタンコ・ブロウデクが巨大なジャンプ台(ブロウトコヴァ・ヴェリカンカ)を建設、ここで 1936年3月5日、史上初めて100 mを超えるジャンプがヨーゼフ・ブラドルによって記録された。
1969年、この隣にブラドとヤネスのゴリシェク兄弟の設計によるK点185 mの新しいジャンプ台が完成し、兄弟の名が冠された。 年々飛距離が伸び、1985年にマッチ・ニッカネンが191 mを飛んで以降はここでの記録が世界記録であり続けた。
1994年の改修ではカンテを10m後方に下げてランディングバーンの最初の部分を延長する工事が行われた。これにより従前最大15mに達して危険だった高い飛行曲線の軽減に成功した。
2005年にはビヨーン・アイナール・ローモーレンが239 mを飛んで世界記録としたが、2011年2月、ノルウェーに完成した世界最大、HS 225 mのヴィケルスンのフライングヒルでヨハン・レメン・エベンセンが246.5 mを記録してこれが世界記録となった。
2015年3月20日にHS 225 mの新生ジャンプ台のこけら落としとして行われたワールドカップ第34戦でペテル・プレヴツが248.5 mを記録。
2019年3月24日、2018/19ワールドカップ第28戦(シーズン最終戦)に於いて、小林陵侑(日本/土屋ホーム)が1本目に252mを記録してバッケンレコードを更新した[2]。
かつては200m、現在ではヒルサイズを超えるジャンプが出ると、1979年にスキーフライング世界選手権がここで開催された際に公式テーマソングとして作られた、アンサンベル・ブラトウ・アヴセニクの「プラニツァ・プラニツァ」が場内に流れるのが名物の一つとなっている。
ジャンプ台の概要
編集- レタウニツァ・ブラトウ・ゴリシェク K=200・HS=240
- インラン(助走路)長:133.8 m
- インラン(助走路)傾斜:35.1°
- 設計踏切速度:30.0 m/s(108 km/h)
- カンテ高さ:2.93 m
- カンテ長さ:8.0 m
- カンテ傾斜:11.25°
- ヒルサイズ:240 m
- K点:200 m
- カンテからK点までの垂直距離h:102.00 m
- カンテからK点までの水平距離n:170.45 m
- 滑空比h/n:0.600
- K点における傾斜:33.2°
- アウトラン長:130.0 m
座標: 北緯46度28分35秒 東経13度43分16秒 / 北緯46.47639度 東経13.72111度
併設ジャンプ台
- ブロウトコヴァ・ヴェリカンカ ラージヒル K=125・HS=138、ノーマルヒル K=95・HS=100
- ムワディンスキ・スカカウニツィ・プラニツァ ミディアムヒル K=72・HS=80 / K=56・HS=61
- K=41・HS=45
- K=28・HS=30
- K=13・HS=15
バッケンレコード
編集- バッケンレコード(ジャンプ台記録)の変遷
年月日 | 氏名 | 記録 |
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1969年3月21日 | ビョルン・ヴィルコラ ノルウェー | 156.0 m |
1969年3月22日 | ビョルン・ヴィルコラ ノルウェー | 160.0 m |
1969年3月22日 | イジー・ラシュカ チェコスロバキア | 164.0 m |
1969年3月23日 | マンフレート・ウォルフ 東ドイツ | 165.0 m |
1974年3月15日 | ヴァルター・シュタイナー スイス | 169.0 m |
1979年3月16日 | クラウス・オストヴァルト 東ドイツ | 179.0 m |
1984年3月15日 | マイク・ホランド アメリカ合衆国 | 186.0 m |
1984.3.15 | マッチ・ニッカネン フィンランド | 187.0 m |
1984.3.16 | マッチ・ニッカネン フィンランド | 191.0 m |
1987年3月15日 | ヴェガール・オパース ノルウェー | 193.0 m |
1987年3月15日 | ピオトル・フィヤス ポーランド | 194.0 m |
1994年3月17日 | マルティン・ヘルバルト オーストリア | 196.0 m |
1994年3月17日 | トニ・ニエミネン フィンランド | 203.0 m |
1994年3月18日 | エスペン・ブレーデセン ノルウェー | 209.0 m |
1997年3月22日 | エスペン・ブレーデセン ノルウェー | 210.0 m |
1997年3月22日 | ラッセ・オッテセン ノルウェー | 212.0 m |
1999年3月19日 | マルティン・シュミット ドイツ | 214.5 m |
1999年3月20日 | トミー・インゲブリクトセン ノルウェー | 219.5 m |
2000年3月16日 | トーマス・ヘール オーストリア | 224.5 m |
2000年3月18日 | アンドレアス・ゴルトベルガー オーストリア | 225.0 m |
2003年3月20日 | マッティ・ハウタマキ フィンランド | 227.5 m |
2003年3月22日 | マッティ・ハウタマキ フィンランド | 228.5 m |
2003年3月23日 | マッティ・ハウタマキ フィンランド | 231.0 m |
2005年3月20日 | トミー・インゲブリクトセン ノルウェー | 231.0 m |
2005年3月20日 | ビヨーン・アイナール・ローモーレン ノルウェー | 234.5 m |
2005年3月20日 | マッティ・ハウタマキ フィンランド | 235.0 m |
2005年3月20日 | ビヨーン・アイナール・ローモーレン ノルウェー | 239.0 m |
2015年3月20日 | ペテル・プレヴツ スロベニア | 248.5 m |
2017年3月25日 | カミル・ストッフ ポーランド | 251.5 m |
2019年3月24日 | 小林陵侑 日本 | 252.0 m |
- 飛距離は最長ながら転倒により非公認となった記録
年月日 | 氏名 | 記録 |
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1974年 | ヴァルター・シュタイナー スイス | 177.0 m |
1977年 | ボグダン・ノルチッチ ユーゴスラビア | 181.0 m |
1994年 | アンドレアス・ゴルトベルガー オーストリア | 202.0 m |
1997年 | ディーター・トーマ ドイツ | 213.0 m |
1999年 | マルティン・シュミット ドイツ | 219.0 m |
2003年 | ベリ=マッチ・リンドストローム フィンランド | 232.5 m |
2005年3月20日 | アンドレアス・ビドヘルツル オーストリア | 234.5 m |
2005年3月20日 | ヤンネ・アホネン フィンランド | 240.0 m |
2016年3月17日 | ティレン・バルトル スロベニア | 252.0m |
2018年3月22日 | グレゴア・シュリーレンツァウアー オーストリア | 253.5m |
優勝者一覧
編集この一覧は1969年レタウニツァ・ブラトウ・ゴリシェク開場以降の国際大会のトップスリーである。[1]及び[2]に依る。
プラニツァスキーフライング週間
編集年月日 | 1位 | 2位 | 3位 |
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1969.3.21-23 | イジー・ラシュカ チェコスロバキア |
ビョルン・ヴィルコラ ノルウェー |
マンフレート・ウォルフ 東ドイツ |
1974.3.15-17 | ヴァルター・シュタイナー スイス |
エスコ・ラウティオナオ フィンランド |
ダグ・フォッサム ノルウェー |
1977.3.18-20 | ラインホルト・バハラー オーストリア |
トーマス・マイジンガー 東ドイツ |
ラディスラフ・イジャスコ ユーゴスラビア |
スキーフライング世界選手権
編集ワールドカップ
編集外部リンク
編集脚注
編集- ^ a b “FLY III/ SLO CERTIFICATE OF JUMPING HILL CERTIFICAT DE CONFORMITE SG HANZE N PROFI LBESTÄTIG U NG” (PDF). 2015年3月19日閲覧。
- ^ “小林陵侑 日本記録252メートルの大ジャンプ! 歴代2位13勝目で今季締める”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2019年3月24日) 2019年3月24日閲覧。
- ^ “Letalnica, Planica >> Ski Jumping Hill Archive >> skisprungschanzen.com”. skisprungschanzen.com. 2015年3月19日閲覧。
- ^ “HOMOLOGATIONS/PLANICA/Letalnica”. 2022年3月18日閲覧。
- ^ 1994年の世界選手権はワールドカップを兼ねていた。初日は強風のため中止となり計4回の飛躍で争われる予定が2回の飛躍のみで決戦した。
- ^ “FIS Results Planica”. FIS. 2018年1月31日閲覧。
- ^ 2002年の個人戦は悪天候のため中止となった。