ルイサ・テレサ・デ・ボルボン
ルイサ・テレサ・デ・ボルボン・イ・ボルボン=ドス・シシリアス(スペイン語: Luisa Teresa de Borbón y Borbón-Dos Sicilias, 1824年6月11日 - 1900年12月27日)は、スペインの王族、スペイン王女(Infanta de España)。イサベル2世女王の従姉、義妹。
ルイサ・テレサ Luisa Teresa | |
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ボルボン家 | |
出生 |
1824年6月11日 スペイン王国、アランフエス |
死去 |
1900年12月27日(76歳没) スペイン王国、マドリード |
埋葬 |
1900年12月29日 スペイン王国、サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル、エル・エスコリアル修道院 |
配偶者 | ホセ・マリア・オソリオ・デ・モスコーソ |
子女 |
フランシスコ・デ・アシス ルイス マリア・クリスティーナ |
父親 | フランシスコ・デ・パウラ・デ・ボルボン |
母親 | ルイサ・カルロッタ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス |
生涯
編集1824年6月11日、スペイン王フェルナンド7世の末弟であるカディス公フランシスコ・デ・パウラと、その妃で両シチリア王フランチェスコ1世の娘であるルイサ・カルロッタの間の第5子、次女としてアランフエス宮殿で生まれた[1]。全名はルイサ・テレサ・マリア・デル・カルメン・フランシスカ・デ・アシス(Luisa Teresa Maria del Carmen Francisca de Asis)。
1846年に兄のフランシスコ・デ・アシスが従妹の女王イサベル2世と結婚したため、女王の義妹となった。
1847年2月10日にマドリード王宮において、第16代セッサ公爵ホセ・マリア・オソリオ・デ・モスコーソ(José María Osorio de Moscoso y Carvajal, 1828年 - 1881年)と結婚した。
1900年12月27日、マドリードにて76歳で亡くなりエル・エスコリアル修道院に葬られた。
子女
編集夫セッサ公爵との間に2男1女の3人の子女をもうけた。
- フランシスコ・デ・アシス(1847–1924) - 第17代セッサ公爵
- ルイス・マリア(1849–1924) - 第16代アヤモンテ侯爵
- マリア・クリスティーナ・イサベル(1850–1904) - 第9代アトリスコ公爵、1865年に第6代ボーフルモン公爵ウジェーヌ・ド・ボーフルモン=クルトネーと結婚
脚注
編集- ^ Darryl Lundy (10 May 2003). “Luisa de Borbón, Infanta de España”. thePeerage.com. 2012年6月10日閲覧。
外部リンク
編集ウィキメディア・コモンズには、ルイサ・テレサ・デ・ボルボンに関するカテゴリがあります。