リーゼングロス
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
リーゼングロス(欧字名:Riesengross、1979年5月4日 - 2007年3月31日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
リーゼングロス | |||||||||
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品種 | サラブレッド[1] | ||||||||
性別 | 牝[1] | ||||||||
毛色 | 栗毛[1] | ||||||||
生誕 | 1979年5月4日[1] | ||||||||
死没 | 2007年3月31日(28歳没)[2] | ||||||||
父 | アローエクスプレス[1] | ||||||||
母 | タケノダンサー[1] | ||||||||
母の父 | チャイナロック[1] | ||||||||
生国 | 日本(北海道静内町)[1] | ||||||||
生産者 | 武岡牧場[1] | ||||||||
馬主 | 三島武[1] | ||||||||
調教師 | 新関力[1](美浦) | ||||||||
厩務員 | 長谷部謙司[3] | ||||||||
競走成績 | |||||||||
生涯成績 | 18戦4勝[1] | ||||||||
獲得賞金 | 1億4304万7100円[1] | ||||||||
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1982年の桜花賞優勝馬である。半妹に、1983年度優駿賞最優秀3歳牝馬マーサレッド、エリザベス女王杯を制したタケノベルベットがいる。
生涯
編集デビューまで
編集タケノダンサーは、チャイナロックを父に持つ牝馬で、競走馬としてデビューすることなく、1974年に繁殖牝馬となった[4]。不受胎などしばらく産駒生産には至らなかったが、1978年にようやく初仔の牝馬(父:ラフィンゴラ[注釈 1])を産んだ[5]。続いて内国産種牡馬のアローエクスプレスが配合され、翌1979年5月4日、北海道静内町の武岡牧場にて2番仔の牝馬(後のリーゼングロス)が誕生した[5]。
牧場では「福舞」と呼ばれ、当歳時はおとなしく、人の手がかからない馬であった[6]。2歳の春に首が「夏癬」という皮膚病に見舞われ、雨の時は痒みが止まらなかった[6]。ある日放牧されたころに雨が降ってしまい、痒さに暴れていたところを他の馬に押し倒され、牧場の柵に激突[6]。倒れた福舞が全く動かなくなったことから、周囲は死亡したと認識して獣医師の派遣を要請したが、やがて立ち上がり、普段通りに動き始めた。この一件から気性が荒くなるなど、福舞の性格が変化した[6]。
福舞は、三島武が所有することが決定し、三島によりドイツ語で「大いなるもの」を意味する「リーゼングロス」という競走馬名が与えられた[6]。
競走馬時代
編集3歳(1981年)
編集美浦トレーニングセンターの新関力厩舎に入厩した[7]。
3歳夏の1981年6月6日、札幌競馬場の新馬戦(ダート1000メートル)に中野渡清一が騎乗し、単勝2番人気でデビューを果たした。最終コーナーで先頭に立つとそれから差を広げ、後方に10馬身離して優勝した[7]。続く北海道3歳ステークスでは2番人気の支持も、馬群で砂を被り走る気を失い9着、本州に戻り中山競馬場のカンナ賞、東京競馬場の黄菊賞では1番人気に推されながらそれぞれ敗退した[7]。
11月28日、5戦目の黒松賞で後方からの追い込みが決まり2勝目。12月12日、中山競馬場の3歳牝馬ステークスでは、新潟3歳ステークスを制したビクトリアクラウンとの対決に注目が集まった[7]。リーゼングロスが1番人気に推されたが、両隣から挟まれる不利を受け、8着に敗退、一方のビクトリアクラウンは連勝を果たした[7]。以後、笹針治療を受けるなど休養に入り、3歳を終えた[7]。
4-5歳(1982-83年)
編集4歳となる1982年の初戦には、桜花賞のトライアル競走である阪神4歳牝馬特別を選択。脚への不安から満足に調教できず飼葉を加減し、馬体重はマイナス14キログラム、さらに鞍上が初騎乗となる清水英次だったことから、人気を落とし7番人気の支持であった。担当厩務員の長谷部謙司は、この時の状態を「6分ぐらいの出来」と評している[3]。不良馬場の中後方待機を選択し、直線では内側に持ち出して伸び、2着を確保した。逃げたツキマリーがそのまま優勝し、その1馬身4分の1遅れての入線であった[3]。清水は、不良馬場で35秒台の末脚を見せたことを高く評価し「最後の100メートルでは勝てるかなと思ったほどだ[3]」とも話した。
続いて4月11日の桜花賞に出走。3歳牝馬ステークス勝利後、さらにクイーンカップも制したビクトリアクラウンが桜花賞直前に左膝骨折、出走を回避したことから、本命不在となる「混戦ムード[3]」(横尾一彦)の状態が生まれた。そんな中、リーゼングロスは前走負かしたマンジュデンレディに1番人気を譲った2番人気に支持された。
スタートからツキマリーが逃げる中、リーゼングロスはその7,8馬身後ろの7番手くらいに位置した。残り600メートル地点で3番手まで進出し、最終コーナーで逃げるツキマリーに、外から並びかけると、まもなくかわして先頭となった。独走して後方との差を広げ、先頭で入線[3]。外から追い込んだメジロカーラに5馬身差の勝利は、1975年のテスコガビーが記録した大差に次ぐ史上2番目[注釈 2] の着差を記録した[3]。清水は、クラシック競走初優勝となり、最終コーナー時点で勝利を確信していたと明かしている[3]。
二冠目の優駿牝馬(オークス)に向けて、トライアル競走の東京4歳牝馬特別に1番人気の支持で出走[3]。第2コーナーで両隣に挟まれて失速する不利を受け、一時最後方に位置した。しかし、直線で位置を上げ、半馬身差で先頭で入線した[3]。この勝利に、横尾一彦は「まるで調教をつけているように馬なりのままの楽勝[3]」と表している。清水は、前哨戦のため全力で追うことを避けたが、追えば桜花賞並みの着差が期待できたとしており「オークスも自信がありますよ[3]」と話した。
5月23日の優駿牝馬(オークス)に参戦。リーゼングロスに人気が集まり、優駿牝馬史上初めてとなる単枠指定制度の対象となった[8]。ところが、馬場入場後の返し馬にて、通路の切れ目に驚いて飛んでしまい、騎手を落として放馬[8]。向こう正面の通路から正反対の直線コース坂上まで1200メートルを空馬状態で走ってしまった[8]。やがて捕獲されて馬体検査が行われたが異状なく、落馬した清水も軽い脳震盪に留まり、人馬とも出走することとなった[8]。
スタートから先行して4番手に位置し、直線では先に抜け出していたシャダイアイバー目がけて追い上げた[8]。馬体を併せて200メートル以上競り合ったが、半馬身届かず2着敗退、二冠を逃した[8]。清水は敗因を、直前の放馬というより短距離血統の父アローエクスプレスに求めていた[8]。
3か月間の休養を挟んで、函館記念で復帰したものの12着。その直後に、右前脚に屈腱炎をきたして9か月間の長期離脱となった[8]。療養中に古馬となり、1983年5月21日のエメラルドステークスで復帰を果たすも9着敗退。それから秋まで出走し続けたが、勝利を挙げることができなかった。年末の有馬記念出走前に脚部不安をきたして回避し、競走馬を引退した[8]。
繁殖牝馬時代
編集引退後は、北海道浦河町の小笠原隆牧場で繁殖牝馬となった。初仔の鹿毛の牝馬(父:ブレイヴェストローマン)はアインリーゼンと命名され、中央競馬でデビューし、優駿牝馬3着[注釈 3][8]。2番仔リーゼンシュラーク(父:ハードツービート)は1992年の七夕賞(GIII)を優勝した[9]。さらにマツケン農場に移動後に産んだ4番仔のエンゲルリーゼンは、競走馬として16戦3勝の成績を残し[10]、2001年のエルムステークス(GIII)、2005年のクラスターカップ(統一GIII)を制したエンゲルグレーセの母となった[11][12]。2007年3月31日に老衰のため28歳で死亡[2]。
競走成績
編集以下の内容は、netkeiba.com[13] およびJBISサーチ[14] の情報に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離
(馬場) |
頭
数 |
枠
番 |
馬
番 |
オッズ
(人気) |
着順 | タイム | 騎手 | 斤量
[kg] |
1着馬(2着馬) |
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1981.6. 6 | 札幌 | 3歳新馬 | ダ1000m(良) | 8 | 2 | 2 | 4.7 (2人) | 1着 | 1:01.6 | 中野渡清一 | 53 | (トクズイホウ) | |
7.26 | 札幌 | 北海道3歳S | ダ1200m(良) | 16 | 3 | 5 | 8.9 (2人) | 9着 | 1:15.7 | 中野渡清一 | 53 | コウチオウショウ | |
9.12 | 中山 | カンナ賞 | 4下 | 芝1200m(不) | 11 | 6 | 6 | 3.0 (1人) | 2着 | 1:11.5 | 大崎昭一 | 53 | ジャパンラッド |
11. 7 | 東京 | 黄菊賞 | 4下 | 芝1400m(不) | 9 | 3 | 3 | 3.5 (1人) | 3着 | 1:25.8 | 大崎昭一 | 53 | クボノボル |
11.28 | 中山 | 黒松賞 | 4下 | 芝1600m(重) | 14 | 7 | 11 | 3.6 (1人) | 1着 | 1:36.7 | 大崎昭一 | 53 | (ジャイアンツシチー) |
12.12 | 中山 | 3歳牝馬S | 芝1600m(良) | 14 | 8 | 13 | 4.6 (1人) | 8着 | 1:37.1 | 大崎昭一 | 53 | ビクトリアクラウン | |
1982.3.21 | 阪神 | 阪神4歳牝馬特別 | 芝1400m(不) | 18 | 4 | 8 | 15.3 (7人) | 2着 | 1:25.8 | 清水英次 | 54 | ツキマリー | |
4.11 | 阪神 | 桜花賞 | 芝1600m(良) | 22 | 5 | 11 | 7.8 (2人) | 1着 | 1:36.3 | 清水英次 | 55 | (メジロカーラ) | |
5. 2 | 東京 | 東京4歳牝馬特別 | 芝1800m(良) | 17 | 6 | 11 | 3.5 (1人) | 1着 | 1:50.3 | 清水英次 | 54 | (ユーセコクイン) | |
5.23 | 東京 | 優駿牝馬 | 芝2400m(良) | 24 | 4 | 10 | 3.7 (1人) | 2着 | 2:28.7 | 清水英次 | 55 | シャダイアイバー | |
8.29 | 函館 | 函館記念 | 芝2000m(良) | 14 | 6 | 10 | 19.1 (6人) | 12着 | 2:02.3 | 東信二 | 54 | カズシゲ | |
1983.5.21 | 東京 | エメラルドS | 芝1800m(良) | 9 | 4 | 4 | 8.4 (4人) | 9着 | 1:52.3 | 東信二 | 57 | カミノグレース | |
7. 3 | 札幌 | 札幌記念 | ダ2000m(良) | 16 | 2 | 4 | 57.3(11人) | 14着 | 2:10.3 | 東信二 | 55 | オーバーレインボー | |
8.21 | 函館 | 函館記念 | 芝2000m(不) | 13 | 4 | 4 | 16.1(10人) | 8着 | 2:06.5 | 安田富男 | 54 | ドウカンヤシマ | |
9.25 | 中山 | オールカマー | 芝2000m(不) | 9 | 6 | 6 | 15.0 (6人) | 6着 | 2:04.9 | 菅原泰夫 | 56 | スイートカーソン | |
10. 9 | 東京 | 毎日王冠 | 芝2000m(不) | 8 | 1 | 1 | 22.8 (7人) | 4着 | 2:03.4 | 菅原泰夫 | 55 | タカラテンリュウ | |
10.30 | 東京 | 天皇賞(秋) | 芝3200m(良) | 12 | 7 | 9 | 25.9 (7人) | 5着 | 3:23.4 | 菅原泰夫 | 56 | キョウエイプロミス | |
11.20 | 東京 | 目黒記念(秋) | 芝2500m(良) | 15 | 7 | 13 | 12.7 (5人) | 7着 | 2:35.9 | 菅原泰夫 | 54 | モンテファスト |
- 表中の太字強調は、八大競走を示す。
血統表
編集リーゼングロスの血統(グレイソヴリン系(ナスルーラ系) / Fairway5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 アローエクスプレス 1967 鹿毛 |
父の父 *スパニッシュイクスプレスSpanish Express 1962 鹿毛 |
Sovereign Path | Grey Sovereign | |
Mountain Path | ||||
Sage Femme | Le Sage | |||
Sylvia's Grove | ||||
父の母 *ソーダストリームSoda Stream 1953 栃栗毛 |
Airborne | Precipitation | ||
Bouquet | ||||
Pangani | Fair Trial | |||
Clovelly | ||||
母 タケノダンサー 1971 栗毛 |
* チャイナロック China Rock 1953 栃栗毛 |
Rockefella | Hyperion | |
Rockfel | ||||
May Wong | Rustom Pasha | |||
Wezzan | ||||
母の母 * ラダンスーズLa Danseuse 1964 鹿毛 |
Le Levanstell | Le Lavandou | ||
Stella's Sister | ||||
Star Dancer | Arctic Star | |||
Dancing Time F-No.2-f |
半妹にタケノベルベット(父パドスール、エリザベス女王杯勝ち)、従兄弟に史上最年長重賞制覇で知られるオースミダイナーがいる。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n “リーゼングロス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月6日閲覧。
- ^ a b “桜花賞馬リーゼングロスが死亡”. netkeiba.com. 2021年7月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『優駿』1989年8月号 25頁
- ^ “タケノダンサー”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
- ^ a b 『優駿』1989年8月号 22頁
- ^ a b c d e 『優駿』1989年8月号 23頁
- ^ a b c d e f 『優駿』1989年8月号 24頁
- ^ a b c d e f g h i j 『優駿』1989年8月号 26頁
- ^ “リーゼンシュラーク”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
- ^ “エンゲルリーゼン”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
- ^ “エンゲルグレーセ”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
- ^ “繁殖牝馬情報:牝系情報|エンゲルリーゼン”. www.jbis.or.jp. 2021年7月7日閲覧。
- ^ “リーゼングロスの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年7月6日閲覧。
- ^ “競走成績:年度別累計成績/主な成績|リーゼングロス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年7月6日閲覧。