ラファエル・パルメイロ

キューバの野球選手 (1964 - )

ラファエル・パルメイロ・コラレスRafael Palmeiro Corrales, 1964年9月24日 - )はキューバハバナ生まれの元プロ野球選手一塁手)。左投左打。

ラファエル・パルメイロ
Rafael Palmeiro
ボルチモア・オリオールズでの現役時代
(2005年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地  キューバ
ハバナ州ハバナ
生年月日 (1964-09-24) 1964年9月24日(60歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
188 lb =約85.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手指名打者
プロ入り 1985年 MLBドラフト1巡目
初出場 1986年9月8日
最終出場 2005年8月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

MLB史上4人目の「通算3000安打&500本塁打」を記録した選手。

息子のパトリック2008年のMLBドラフト22巡目でピッツバーグ・パイレーツから指名され、プロ入りしたプロ野球選手。

経歴

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プロ入り前

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キューバの首都ハバナで生まれるが、フィデル・カストロによるキューバ革命をきっかけに家族とアメリカ合衆国に移住。ミシシッピ州立大学英語版でプレーした。

プロ入りとカブス時代

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1985年MLBドラフト1巡目(全体22位)でシカゴ・カブスから指名され、プロ入り。

1986年9月8日にメジャーデビューを果たす。

1988年には152試合に出場し、打率.307を記録。オールスターに初めて選出された。

レンジャーズ時代

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1988年12月5日にミッチ・ウィリアムズらとのトレードで、ジェイミー・モイヤーらと共にテキサス・レンジャーズへ移籍し[1]ピート・オブライエン英語版の後釜として外野手から一塁手へ転向した[2]

1993年には打率.295、37本塁打、105打点を記録した。シーズン終了後にフリーエージェントとなった。

オリオールズ時代

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1993年12月12日にボルチモア・オリオールズへ移籍した[1]

レンジャーズ復帰

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1998年12月1日に5年契約で古巣レンジャーズへ移籍[3]

1999年は一塁手としてゴールドグラブ賞を受賞したが、一塁手としては28試合しか出場せず、指名打者として128試合に出場した。このゴールドグラブ賞の受賞は議論を呼んだ[4][5][6]

2003年5月11日に史上19人目の通算500本塁打ヒスパニックとしてはサミー・ソーサに次いで2番目)を達成し、1995年から9年連続で35本塁打・100打点を達成しジミー・フォックスのMLB記録に並んだ[3]

オリオールズ復帰

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2004年にはかつて所属していたボルチモア・オリオールズと1年契約で再び移籍[3]。加齢等によりバットスピードが遅くなり左投手の速球に対応できなくなり、前年は.282だった対左投手の打率は.189まで下がっている[7]

2005年2月、元メジャーリーガーのホセ・カンセコが著書「禁断の肉体改造」を出版し、その中でパルメイロが筋肉増強剤のアナボリックステロイドを使用していると暴露した。パルメイロはこれにより2005年3月17日のアメリカ議会特別委員会での証言を求められた。委員会でパルメイロは、「まずこれを言いたい。私はステロイドを使ったことがない。以上終わり。これ以上何をどうはっきり言えというのかわからない。決してやっていない。(Let me start by telling you this: I have never used steroids, period. I don't know how to say it any more clearly than that. Never.)」と述べた[8]。ステロイド使用疑惑を明確に否定したこの証言は称賛を集めた[9]

7月15日には史上26人目の3000本安打を達成した。「3000安打&500本塁打」を達成したのは、ハンク・アーロンウィリー・メイズエディ・マレーに続き史上4人目である[10]。なお、この歴史的瞬間に守備位置の右翼手で立ち会ったイチローは、「なかなかこんな機会に巡り合うことはない。貴重な瞬間だった」「ヒットを毎年200本打っても15年かかる記録。彼は19年間やっているそうですが、それだけ長い間グラウンドに立っていることだけでもすごい」「とても尊敬している。自分が500本塁打打つなんて、おそらく練習でもありえないし、まさに偉大な業績だ」と彼を称えた。ところが3000安打500本塁打を達成した直後の2005年8月1日、アナボリックステロイド使用の陽性反応が出た。パルメイロは「故意にステロイドは使用してはいない。なぜ陽性になったのかはわからない」とコメントしたが容れられず、結局MLBから10日間の出場停止処分を受けた[10][3]。半年前のアメリカ議会特別委員会の証言ではステロイド使用疑惑を強く否定していたため、パルメイロのドーピング違反は全米で大きく報道された[9]。2005年は前年以上に打棒が衰えていたが、出場停止処分からの復帰後はファンからのブーイングによって精神的に疲労し、さらに不振におちいった。同年8月下旬のトロント・ブルージェイズ戦ではついに耳栓を使用するに至り[11]、結局本塁打・打点と共に過去15年で最低の成績に終わり、オフにはチームから契約を解除された。以後はプレーせず、この2005年シーズン限りで実質引退状態となった。

引退後

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引退後5年が経過した2011年から、パルメイロはアメリカ野球殿堂の殿堂入り表彰の候補者となった。しかし殿堂入り投票では選出に必要な75%以上の支持を集めることができず、毎年10%前後の得票率に留まった。得票率が伸びない原因としては、上述したステロイド使用疑惑の影響が指摘されている[12]。2014年の投票で得票率が足切り基準の5%を下回ったため、翌年以降の殿堂入りの投票対象から外されることが決まった[13]。パルメイロは、野球賭博に関与して永久追放処分を受けたピート・ローズに続き、MLB通算3000本安打を達成して殿堂入りを逃した史上2人目の選手となった。

2015年9月18日に独立リーグであるアトランティック・リーグシュガーランド・スキーターズと選手として契約したことが発表される[14]。スキーターズには息子のパトリックも所属し、シーズン終了まで親子で同じチームでプレーすることになった。

2018年から2年間は同じく独立リーグアメリカン・アソシエーションのクリバーン・レイルローダーズ英語版に所属し、2018年は31試合に出場して打率.301、6本塁打、21打点、出塁率.424を記録した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1986 CHC 22 78 73 9 18 4 0 3 31 12 1 1 0 0 4 0 1 6 4 .247 .295 .425 .720
1987 84 244 221 32 61 15 1 14 120 30 2 2 0 2 20 1 1 26 4 .276 .336 .543 .879
1988 152 629 580 75 178 41 5 8 253 53 12 2 2 6 38 6 3 34 11 .307 .349 .436 .785
1989 TEX 156 632 559 76 154 23 4 8 209 64 4 3 2 2 63 3 6 48 18 .275 .354 .374 .728
1990 154 651 598 72 191 35 6 14 280 89 3 3 2 8 40 6 3 59 24 .319 .361 .468 .829
1991 159 714 631 115 203 49 3 26 336 88 4 3 2 7 68 10 6 72 17 .322 .389 .532 .922
1992 159 701 608 84 163 27 4 22 264 85 2 3 5 6 72 8 10 83 10 .268 .352 .434 .786
1993 160 686 597 124 176 40 2 37 331 105 22 3 2 9 73 22 5 85 8 .295 .371 .554 .926
1994 BAL 111 498 436 82 139 32 0 23 240 76 7 3 0 6 54 1 2 63 11 .319 .392 .550 .942
1995 143 624 554 89 172 30 2 39 323 104 3 1 0 5 62 5 3 65 12 .310 .380 .583 .963
1996 162 732 626 110 181 40 2 39 342 142 8 0 0 8 95 12 3 96 9 .289 .381 .546 .927
1997 158 692 614 95 156 24 2 38 298 110 5 2 0 6 67 7 5 109 14 .254 .329 .485 .815
1998 162 709 619 98 183 36 1 43 350 121 11 7 0 4 79 8 7 91 14 .296 .379 .565 .945
1999 TEX 158 674 565 96 183 30 1 47 356 148 2 4 0 9 97 14 3 69 13 .324 .420 .630 1.050
2000 158 678 565 102 163 29 3 39 315 120 2 1 0 7 103 17 3 77 14 .288 .397 .558 .954
2001 160 714 600 98 164 33 0 47 338 123 1 1 0 6 101 8 7 90 8 .273 .381 .563 .944
2002 155 663 546 99 149 34 0 43 312 105 2 0 0 7 104 16 6 94 10 .273 .391 .571 .962
2003 154 654 561 92 146 21 2 38 285 112 2 0 0 4 84 9 5 77 7 .260 .359 .508 .867
2004 BAL 154 651 550 68 142 29 0 23 240 88 2 1 0 9 86 15 6 61 15 .258 .359 .436 .796
2005 110 422 369 47 98 13 0 18 165 60 2 0 0 8 43 4 2 43 9 .266 .339 .447 .786
MLB:20年 2831 12046 10472 1663 3020 585 38 569 5388 1835 97 40 15 119 1353 172 87 1348 232 .288 .371 .515 .885
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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一塁(1B) 左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)
















































1986 CHC - 19 33 2 3 2 .921 - 3 4 1 1 0 .833
1987 18 112 8 1 15 .992 44 67 1 0 1 1.000 - 2 1 0 0 0 1.000
1988 5 30 5 0 1 1.000 145 287 5 5 1 .983 2 0 0 0 0 3 2 1 0 0 1.000
1989 TEX 147 1167 119 12 106 .991 1 0 0 0 0 - -
1990 146 1215 91 7 123 .995 - - -
1991 157 1305 96 12 119 .992 - - -
1992 156 1251 143 7 131 .995 - - -
1993 160 1388 147 5 133 .997 - - -
1994 BAL 111 959 66 4 87 .996 - - -
1995 142 1181 119 4 120 .997 - - -
1996 159 1383 119 8 157 .995 - - -
1997 155 1304 112 10 124 .993 - - -
1998 159 1435 124 9 127 .994 - - -
1999 TEX 28 261 13 1 23 .996 - - -
2000 108 820 56 4 86 .995 - - -
2001 113 906 83 8 112 .992 - - -
2002 97 739 84 5 83 .994 - - -
2003 55 445 49 2 53 .996 - - -
2004 BAL 130 1090 95 8 114 .993 - - -
2005 93 747 58 4 68 .995 - - -
MLB 2139 17738 1587 111 1782 .994 209 387 8 8 4 .980 2 0 0 0 0 8 7 2 1 0 .900

表彰

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記録

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背番号

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  • 25(1986年 - 1988年、1990年 - 2005年)
  • 3(1989年)

脚注

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  1. ^ a b Rafael Palmeiro Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年10月9日閲覧。
  2. ^ The Ballplayers - Rafael Palmeiro” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年10月9日閲覧。
  3. ^ a b c d Rafael Palmeiro from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年10月9日閲覧。
  4. ^ Scocca, Tom (November 17, 1999). “Fools' Gold”. Baltimore City Paper. オリジナルのAugust 31, 2006時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060831100055/http://www.citypaper.com/columns/story.asp?id=8502 
  5. ^ Gold Glove Award”. baseballbiography.com. 2024年9月8日閲覧。
  6. ^ Jeff Sullivan (2 December 2011). “Searching For A Defense Of Rafael Palmeiro's 1999 Gold Glove”. SBNation.com. Vox Media. 2024年9月8日閲覧。
  7. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、64頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3 
  8. ^ Associated Press (2005年8月2日). “Palmeiro docked 10 days for steroids” (英語). ESPN.com. 2009年2月12日閲覧。
  9. ^ a b 李啓充 (2005年8月4日). “パルメイロ ステロイド汚染の衝撃”. Number web. 2014年7月6日閲覧。
  10. ^ a b Palmeiro docked 10 days for steroids” (英語). ESPN.com. 2008年10月9日閲覧。
  11. ^ Palmeiro Tries Earplugs, But Can't Stop Slump” (英語). washingtonpost.com. 2008年10月9日閲覧。
  12. ^ Barry Bloom (2011年1月5日). “Cooperstown calls for Alomar, Blyleven” (英語). MLB.com. 2014年7月6日閲覧。
  13. ^ 2014 Hall of Fame Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2014年7月6日閲覧。
  14. ^ Rafael Palmeiro to play alongside son for Sugar Land Skeeters”. ESPN. 2015年9月18日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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