ラジオシティ (ディスコ)
ラジオシティ (RADIO CITY) は、1980年代 - 1990年代に大和実業(現:ダイワエクシード)が運営していたディスコ。東京、名古屋、大阪に計5店舗をチェーン展開していた。
日比谷店
編集東宝ツインタワービルB2F・B3Fに、1986年(昭和61年)4月8日に4号店としてオープン。後発ながら系列の旗艦店となった店舗であり、巨大なスフィンクス像を配置、2フロア吹き抜けの大箱ディスコであった。ラジオシティーといえば、この日比谷店をイメージする人が多い。また、地下鉄日比谷駅A5出口から直結という好立地もあって、近隣のビジネスマンやOLを中心に人気を博した。 営業時間は18時から24時、システムはフリーフード・フリードリンク[1]。
社会人をメインターゲットとしていたため、他店と比べてもドレスコードがかなり厳しい店舗でありながらも、金曜はビジネスマン、OLなどを中心に1000人近い客が来場していた[1]。 しかし1992年(平成4年)頃からは、土曜のみカジュアルナイトとしてジーンズやスニーカーでの入場を認めたり、1993年〜1997年は月一回、第一日曜日にゲイナイトが行われたりと、月曜〜金曜の営業とは全く違った客層にもアプローチしていた。
第二次パラパラブームが終焉した後 の1998年(平成10年)12月31日に閉店[2]。 閉店後の1999年(平成11年)10月19日には、跡地にラジオシティの運営元である大和実業のチェーン飲食店「アジアンキッチン」が開業した。
その後、跡地には2010年(平成22年)にはCLUB DIANAが開業したものの[3]、東宝ツインタワービルの建て替えに伴い、2019年(令和元年)12月31日にこちらも閉店となった[4]。
名古屋レジャック店
編集名鉄レジャックビルの7Fに1981年(昭和56年)8月25日に2号店としてオープン。この物件は元々、1975年オープンのSTAGE 7というディスコであった。かなり天高な物件であり、ワンフロアでありながら、日比谷店と同じく吹き抜け構造で店舗デザインされた。内装は当初、新宿店(後述)に近いスタイルであったが、1990年に改装を経て、スフィンクス像など、日比谷店と同じスタイルになった。収容人数は700~800人であった。
1994年(平成6年)4月8日に、客席部分、レストランコーナーなどをカラオケルーム、パーティールームに改装したものの、スフィンクス像などの内装、ダンスフロア、DJブース、音響・照明設備はそのままの形で残され、週末のディスコイベントに利用された。1999年頃、閉店した日比谷店の照明設備を移設、また最新設備も増設され、本格的に大箱ディスコとしての営業を再開。およそ10年後の2008年(平成20年)8月に閉店した。
所在地は愛知県名古屋市中村区名駅南1-25-2 メイテツレジャック7F。なお、レジャックビルは老朽化および賃貸借契約の期限のため2023年(令和5年)3月に閉館した[5]。
その他の店舗
編集- 新宿店
- ニューOS店(梅田)
- 梅田楽天地ビルB2Fに存在した。系列3号店。当初は新宿店と同じく円形のダンスフロアであった。天井には日比谷店と同じネオン管の照明やレインライト等があり、過渡期の内装といえる。後期には名古屋店と同じく改装され、日比谷店のような内装となった。
脚注
編集- ^ a b “大和実業(現:株式会社ダイワエクシード)に残っていたラジオシティのスクラップ”. 2022年7月7日閲覧。
- ^ “日比谷ラジオシティ復活ナイトの開催経緯と皆様へのお願いについて”. 2022年7月7日閲覧。
- ^ “日比谷ラジオシティ跡に大箱ディスコ「クラブディアナ」-人気集める”. 銀座経済新聞. 2022年7月7日閲覧。
- ^ “CLUB DIANA”. TOKYO CLUB MAP. 2022年7月7日閲覧。
- ^ “レジャック、来年3月閉館”. 読売新聞オンライン. 2022年7月7日閲覧。