ライアン・フランクリン

ライアン・レイ・フランクリンRyan Ray Franklin, 1973年3月5日 - )はアメリカ合衆国アーカンソー州フォートスミス出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

ライアン・フランクリン
Ryan Franklin
セントルイス・カージナルス時代
(2008年4月6日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州フォートスミス
生年月日 (1973-03-05) 1973年3月5日(51歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 MLBドラフト23巡目
初出場 1999年5月15日
最終出場 2011年6月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
五輪 2000年
オリンピック
野球
2000 野球

経歴

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1992年ドラフト23巡目でシアトル・マリナーズから指名され、1993年5月21日に契約。

1999年5月15日にメジャーデビュー。同年、リリーフで6試合に登板。

2000年はメジャーでプレイすることはなかったが、シドニーオリンピック野球アメリカ合衆国代表として出場し、金メダルを獲得した。フランクリンは、4試合に登板し、3勝を記録。

2003年先発投手として32試合に登板。11勝を挙げたが、リーグワーストの34被本塁打を記録。

2004年も先発投手として32試合に登板したが、6月23日から9月10日にかけて11連敗。リーグワースト2位の16敗でシーズンを終え、2005年はリーグワースト4位の15敗。禁止薬物に陽性反応を示したため、2005年8月2日にMLB機構が、10日間の出場停止処分を発表した[1]

フェリックス・ヘルナンデスの台頭に伴い、先発投手を1人減らすことになった際、フランクリンかギル・メッシュにするかで検討されたが、結局フランクリンが解雇された[2]2006年1月13日にフィラデルフィア・フィリーズFA移籍。2006年8月7日、トレードでシンシナティ・レッズへ移籍。同年、フィリーズとレッズでリリーフとして66試合に登板。シーズン終了後の2007年1月22日、セントルイス・カージナルスへ移籍。

リリーフに転向して以降、GO/AO(ゴロアウトとフライアウトの比率)が1を上回るようになり、ゴロで打ち取ることが多くなった[3]。2007年7月5日、2年契約(3年目の2010年は球団オプション)で契約延長[4]。2008年5月16日、カージナルスのクローザーのジェイソン・イズリングハウゼン故障者リスト入りに伴い、フランクリンがクローザーを務めることに[5]。同年、チーム最多の17セーブを記録。

2009年はクローザーとして開幕を迎え、開幕から13試合連続無失点を達成。4、6、8月は防御率0.00を記録し、前半戦は防御率0.79、WHIP0.79、22セーブ機会で失敗1の成績を修め、オールスターに初めて選出された。後半戦は防御率3.33、WHIP1.70、セーブ失敗4と調子を落としたが、スライダーに代わりカッターを投じるようになって被本塁打率は例年から激減した。

2010年は7月6日のコロラド・ロッキーズ戦で1/3回で6失点を喫したこともあり防御率は前年より悪化したが、リーグ2位のセーブ成功率93.1%とリーグ9位のWHIP1.03を記録。リリーフ投手中リーグ4位の与四球率1.38と四球を減らし、終盤にはナックルボールを投げるようになった。

2011年は21試合の登板で被本塁打率2.93と被本塁打が多く、防御率8.46、WHIP1.84と低迷。6月29日に解雇された。11月19日、引退を表明した。

選手としての特徴

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薬物疑惑

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2005年8月2日にアナボリックステロイドに陽性反応を示し、10日間の出場停止処分を受けた。フランクリン本人によると5月のドーピング検査で陽性反応が出ていたが、その3週間後に再検査を受けたときの結果は陰性だったという。そのため検査に欠陥があるか、誰か他の人の尿が一緒に混ざってしまったと主張している[6]

2年後の2007年12月13日に発表されたミッチェル報告書によると、カーク・ラドムスキーは2004年にロン・ビローンからフランクリンを紹介されたと主張している。ビローンは筋力を向上させるために、フランクリンに提供してほしいと言ってきたので、言う通りにデカ・デュラボリンアナバーを提供した。この主張に関する情報を提供し、応答の機会を与えるためにジョージ・J・ミッチェルが面会を要求したが、フランクリンはこれを拒否した[6]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1999 SEA 6 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 51 11.1 10 2 8 1 1 6 0 0 6 6 4.76 1.59
2001 38 0 0 0 0 5 1 0 5 .833 335 78.1 76 13 24 4 4 60 2 0 32 31 3.56 1.28
2002 41 12 0 0 0 7 5 0 3 .583 495 118.2 117 14 22 1 5 65 0 0 62 53 4.02 1.17
2003 32 32 2 1 0 11 13 0 0 .458 877 212.0 199 34 61 3 9 99 1 2 93 84 3.57 1.23
2004 32 32 2 1 1 4 16 0 0 .200 870 200.1 224 33 61 1 10 104 0 3 116 109 4.90 1.42
2005 32 30 2 1 1 8 15 0 0 .348 832 190.2 212 28 62 4 7 93 3 1 110 108 5.10 1.44
2006 PHI 46 0 0 0 0 1 5 0 8 .167 233 53.0 59 10 17 4 4 25 1 0 28 27 4.58 1.43
CIN 20 0 0 0 0 5 2 0 0 .714 110 24.1 27 3 16 6 0 18 1 0 14 12 4.44 1.77
'06計 66 0 0 0 0 6 7 0 8 .462 343 77.1 86 13 33 10 4 43 2 0 42 39 4.54 1.54
2007 STL 69 0 0 0 0 4 4 1 25 .500 317 80.0 70 8 11 0 3 44 2 0 28 27 3.04 1.01
2008 74 0 0 0 0 6 6 17 13 .500 346 78.2 86 10 30 4 3 51 3 0 34 31 3.55 1.47
2009 62 0 0 0 0 4 3 38 1 .571 250 61.0 49 2 24 3 1 44 1 0 13 13 1.92 1.20
2010 59 0 0 0 0 6 2 27 0 .750 264 65.0 57 7 10 1 4 42 5 0 25 25 3.46 1.03
2011 21 0 0 0 0 1 4 1 0 .200 133 27.2 44 9 7 2 1 17 1 0 27 26 8.46 1.84
通算:12年 532 106 6 3 2 62 76 84 56 .449 5113 1201.0 1230 173 353 34 52 668 20 6 588 552 4.14 1.32
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

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代表歴

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脚注

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  1. ^ Street, Jim (2005年8月2日). “Franklin suspended for 10 days” (英語). MLB.com. 2009年7月16日閲覧。
  2. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、249頁頁。ISBN 978-4-331-51146-6 
  3. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、348頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  4. ^ Berk, Daniel (2007年7月5日). “Notes: Franklin signs extension” (英語). MLB.com. 2009年7月16日閲覧。
  5. ^ Falkoff, Robert (2008年5月17日). “Bullpen solutions to be found in-house” (英語). MLB.com. 2009年7月16日閲覧。
  6. ^ a b Mitchell Report” (PDF) (英語). Office of the Commissioner of Baseball. pp. SR190. 2013年11月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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