ジェイソン・イズリングハウゼン

アメリカの野球選手 (1972 - )

ジェイソン・デリック・イズリングハウゼンJason Derik Isringhausen, 1972年9月7日 - )は、イリノイ州ブライトン出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。愛称は「イジー」(Izzy)。

ジェイソン・イズリングハウゼン
Jason Isringhausen
サザン・イリノイ大学 コーチ
ニューヨーク・メッツでの現役時代
(2011年7月28日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ブライトン
生年月日 (1972-09-07) 1972年9月7日(52歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 MLBドラフト44巡目(全体1156位)
初出場 1995年7月17日
最終出場 2012年9月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

現役時代は2002年から2007年にかけて、セントルイス・カージナルスクローザーとして活躍。通算300セーブを記録した。

経歴

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プロ入り前

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イズリングハウゼンの母と姉はソフトボールをしており、イズリングハウゼン自身は4歳の頃に野球を始め、6歳の頃に本格的に始める[1]。高校時代は強肩強打の野手として注目されていた。野球のみだけでなく、バスケットボールアメリカンフットボールでも活躍[2]

プロ入りとメッツ時代

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1991年6月にニューヨーク・メッツからドラフト44巡目(全体1156位)指名を受けた。

1992年5月に外野手として入団、入団後投手に転向する[1]

1993年の夏に投手コーチからひじや肩に負担のかからないカーブの投げ方を学んだ[1]

1995年にメッツの最優秀マイナー選手、インターナショナルリーグ最優秀選手に選出された[3]。7月17日にメジャーデビュー。すぐさま先発に定着し、9勝2敗を記録した。当時のイズリングハウゼンは、ほぼ同時期にデビューしたポール・ウィルソンビル・パルシファーとともにメディアから「新世代の三銃士」(「ジェネレーションK」)と評され、大いに期待される存在だった[4]

1996年は3人揃って不調。イズリングハウゼン自身も肩や肘、手首の相次ぐ故障に苦しみ、故障者リスト入りを繰り返した。

アスレチックス時代

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1999年トレード期限間際にオークランド・アスレチックスへトレードされ、これを機に本格的にクローザーへ転向することになる。

2000年2001年はとも30セーブ以上を記録し、チームの2年連続ポストシーズン進出に貢献した。

カージナルス時代

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セントルイス・カージナルス時代のイズリングハウゼン(2007年)

2001年オフにセントルイス・カージナルスFA移籍。クローザーとして期待されての入団であった。

2002年は32セーブを記録。2003年は怪我による離脱で22セーブに終わった。

2004年は球団タイ記録の47セーブを記録して最多セーブのタイトルを獲得する。

2005年も腹筋痛で故障者リスト入りとなったものの、安定した投球を見せ、防御率は自己ベストの2.14であった[2]

2006年は腰の故障の影響で被本塁打が増加し、10回のセーブに失敗。シーズン終了を待たずにクローザーの座をアダム・ウェインライトに託し、手術に踏み切った[5]リー・スミスが保持していた球団セーブ記録(160セーブ)を更新したものの、カージナルスが10度目の世界一となったワールドシリーズには出場できずに終わった。

2007年はクローザーに復帰し、9月まで防御率を1点台に抑える好投。セーブ失敗は2回(4月と6月に1回ずつ)だけと守護神としての地位を取り戻した。8月26日のアトランタ・ブレーブス戦で、カージナルスでの通算200セーブを達成。昨シーズン終了時は退団が有力視されていたが、この活躍を受け、球団は1年800万ドルのオプションを行使[5]

2008年は5月9日時点でリーグ最多の11セーブを記録する一方で、リーグ最多の5回目のセーブ失敗を記録。トニー・ラルーサはイズリングハウゼンを中継ぎに配置転換させ[6]、8月16日の登板を最後にシーズンを終えた。

レイズ時代

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2009年2月20日、タンパベイ・レイズとマイナー契約し、開幕ロースター入り。

2010年はメジャー登板がなかった。

メッツ時代

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2011年は古巣メッツと契約。

フランシスコ・ロドリゲスミルウォーキー・ブルワーズへ移籍後はクローザーを務め、8月15日にはMLB史上23人目となる通算300セーブを達成。

エンゼルス時代

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2012年2月22日、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結ぶ。開幕ロースター入りを果たし、中継ぎを務める。その後、退団。

コーチ時代

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2013年2月22日から、サザン・イリノイ大学で投手コーチを務める事となった。引退する事は否定している[7]

選手としての特徴

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持ち球は93 - 97mph (約149.7 - 156.1km/h)最速は99mphのフォーシームと、大きな縦のカーブ。時折カッタースプリットフィンガード・ファストボールを投げることもあるが、基本的にはこの2つだけで打者を押さえ込む[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1995 NYM 14 14 1 0 0 9 2 0 -- .818 385 93.0 88 6 31 2 2 55 4 1 29 29 2.81 1.28
1996 27 27 2 1 1 6 14 0 -- .300 766 171.2 190 13 73 5 8 114 14 0 103 91 4.77 1.53
1997 6 6 0 0 0 2 2 0 -- .500 145 29.2 40 3 22 0 1 25 3 0 27 25 7.58 2.09
1999 13 5 0 0 0 1 3 1 0 .250 179 39.1 43 7 22 2 2 31 2 0 29 28 6.41 1.65
OAK 20 0 0 0 0 0 1 8 0 .000 107 25.1 21 2 12 2 1 20 2 0 6 6 2.13 1.30
'99計 33 5 0 0 0 1 4 9 0 .200 286 64.2 64 9 34 4 3 51 4 0 35 34 4.73 1.52
2000 66 0 0 0 0 6 4 33 0 .600 304 69.0 67 6 32 5 3 57 5 1 34 29 3.78 1.43
2001 65 0 0 0 0 4 3 34 0 .571 293 71.1 54 5 23 5 0 74 2 0 24 21 2.65 1.08
2002 STL 60 0 0 0 0 3 2 32 0 .600 257 65.1 46 0 18 1 1 68 0 0 22 18 2.48 0.98
2003 40 0 0 0 0 0 1 22 1 .000 174 42.0 31 2 18 1 0 41 6 0 14 11 2.36 1.17
2004 74 0 0 0 0 4 2 47 0 .667 308 75.1 55 5 23 4 2 71 1 0 27 24 2.87 1.04
2005 63 0 0 0 0 1 2 39 1 .333 245 59.0 43 4 27 5 1 51 2 0 14 14 2.14 1.19
2006 59 0 0 0 0 4 8 33 0 .333 257 58.1 47 10 38 3 3 52 3 0 25 23 3.55 1.46
2007 63 0 0 0 0 4 0 32 0 1.000 267 65.1 42 4 28 3 2 54 3 0 21 18 2.48 1.07
2008 42 0 0 0 0 1 5 12 2 .167 200 42.2 48 5 22 0 5 36 1 0 28 27 5.70 1.64
2009 TB 9 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 37 8.0 6 0 5 0 2 6 1 0 2 2 2.25 1.38
2011 NYM 53 0 0 0 0 3 3 7 19 .500 200 46.2 36 6 24 2 1 44 1 0 23 21 4.05 1.29
2012 LAA 50 0 0 0 0 3 2 0 4 .600 198 45.2 44 7 19 3 0 31 3 0 22 21 4.14 1.38
MLB:16年 724 52 3 1 1 51 55 300 27 .481 4322 1007.2 901 85 437 43 34 830 53 2 450 408 3.64 1.33
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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投手(P)












1995 NYM 14 8 11 2 1 .905
1996 27 13 28 5 1 .891
1997 6 3 1 0 0 1.000
1999 13 3 5 1 1 .889
OAK 20 1 4 0 0 1.000
'99計 33 4 9 1 1 .929
2000 66 1 11 1 0 .923
2001 65 1 8 2 0 .818
2002 STL 60 3 6 2 0 .818
2003 40 0 6 0 0 1.000
2004 74 3 18 0 0 1.000
2005 63 4 10 1 1 .933
2006 59 5 10 1 0 .938
2007 63 5 5 0 1 1.000
2008 42 8 10 1 1 .947
2009 TB 9 0 0 0 0
2011 NYM 53 1 6 0 0 1.000
2012 LAA 50 3 5 1 0 .889
MLB 724 62 144 17 6 .924

タイトル

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記録

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諸記録

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背番号

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  • 29(1995年 - 同年途中)
  • 44(1995年途中 - 1999年途中、2000年 - 2009年)
  • 48(1999年途中 - 同年終了)
  • 45(2011年)
  • 55(2012年)

参考資料

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  1. ^ a b c d 水見美和子「必殺の決め球 ジェイソン・イズリングハウゼン [カージナルス]」『月刊メジャー・リーグ』 2008年1月号、ベースボールマガジン社、2008年、雑誌 08625-1、58 - 59頁。
  2. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、300頁頁。ISBN 978-4-331-51146-6 
  3. ^ Jason Isringhausen Awards” (英語). The Baseball Cube. 2009年4月1日閲覧。
  4. ^ 出野哲也 「"2世"になれなかった選手 ならなかった選手」 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、32-33頁。
  5. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、346頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  6. ^ Radcliffe, JR (2008年5月10日). “Isringhausen taking a break from closing” (英語). The Official Site of The St. Louis Cardinals. 2009年4月1日閲覧。
  7. ^ Jason Isringhausen Takes College Coaching Job

関連項目

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外部リンク

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