メトコヴィチ
メトコヴィチ(クロアチア語:Metković)は、クロアチア南部、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の町(grad)、およびそれを中心とした基礎自治体である。町はネレトヴァ川の岸に広がり、クロアチアの南端に近く、またボスニア・ヘルツェゴビナとの国境にも接している。
メトコヴィチ Metković | |||
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丘の上に広がるメトコヴィチの町 | |||
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位置 | |||
ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡におけるメトコヴィチ市の場所 | |||
座標 : 北緯43度03分 東経17度39分 / 北緯43.050度 東経17.650度 | |||
行政 | |||
国 | クロアチア | ||
郡 | ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡 | ||
市 | メトコヴィチ | ||
市長 | Stipe Gabrić(HSS) | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 28 km2 | ||
人口 | |||
人口 | (2001年現在) | ||
市域 | 15.384人 | ||
市街地 | 13,873人 | ||
その他 | |||
等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||
夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||
郵便番号 | 20340 | ||
市外局番 | 020 | ||
ナンバープレート | DU | ||
公式ウェブサイト : metkovic.hr |
この町について記録されている最古の文献は1422年のものであり、小さな農村として記録されている。19世紀までは小さな農村であったが、その後オーストリア帝国によって開発が進められた。町には郵便局や学校ができ、隣接するボスニア・ヘルツェゴビナ(オスマン帝国領)との交易が盛んになり、町は繁栄した。1875年には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が町を訪れている。
町の象徴的建築物のひとつが、聖エリヤ聖堂である。メトコヴィチの近くには古代ローマの集落跡ナローナ(Narona)があり、現在はヴィド(Vid)と呼ばれる集落となっている。ナローナは、ローマ人がイリュリア人の部族ダオルス(Daors)との戦いに勝利した後、交易拠点として築かれ(ダオルス族の首都の遺跡がこの近くのストラツ Stolac に残されている)、その後紀元後3世紀まで発展を続けた。その後は4世紀の地震などの影響により、急速な衰えを見せる。6世紀中ごろにスラヴ人が到来すると町は無人となり、ネレトヴァ川の土砂の下に埋もれてしまった。これまでの発掘調査は小規模に留まっており、遺構の多くはヴィドの近くから見つかっている。
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町の中心近くの様子
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上から見下ろした町とネレトヴァ川
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丘の上の聖堂
著名出身者
編集- イゴール・シュティマツ - サッカー選手
- ダリヨ・スルナ 🍌🐖- サッカー選手
- イヴィッツァ・バルバリッチ - サッカー選手、サッカー指導者
外部リンク
編集座標: 北緯43度03分 東経17度39分 / 北緯43.050度 東経17.650度