メガロポリスの戦い(英:Battle of Megalopolis)は、紀元前331年スパルタ王アギス3世率いるスパルタおよびその同盟国とアンティパトロス率いるマケドニアの間で戦われた戦闘である。

メガロポリスの戦い
戦争
年月日紀元前331年
場所メッセニアメガロポリス
結果:マケドニアの勝利
交戦勢力
マケドニア王国 スパルタ
エリス
アルカディア
ペレネを除くアカイア
指導者・指揮官
アンティパトロス アギス3世 
戦力
40,000以上 歩兵20,000
騎兵2,000
損害
戦死3,500
負傷者多数
戦死5,300

背景

編集

紀元前333年の終わり、アギス3世はエーゲ海にてペルシアの将軍ファルナバゾスアウトプラダテス[要曖昧さ回避]と会談し、彼らにギリシアでの彼の対アレクサンドロス戦争の計画を示した。当時アレクサンドロス3世と戦っていたペルシア側は、共通の敵打倒のためにアギスに対し30タラントンの資金と10隻の艦船を援助することを約束した[1]。アギスはその金でイッソスの戦いでペルシア方として戦い、それから生還したギリシア人傭兵8000人を雇い、対マケドニア戦の準備を始めた[2]。というのも、ガウガメラの戦いでのマケドニア軍の勝利の報を受けたギリシア人はマケドニアの強大化に警戒心を募らせていたからである。アギスは同盟国、傭兵を含め歩兵20000、騎兵2000を下らない兵力を集めた[3]

紀元前331年の夏に戦いの火蓋は切られた。トラキア総督メムノンの反乱に乗じて挙兵したアギスはマケドニアの将軍コラゴスを破り、味方に付かなかったメガロポリスを包囲した[4]

一方、アレクサンドロスよりマケドニアとギリシアを任されていたアンティパトロスはトラキアとペロポネソスの二正面作戦を避けるためメムノンを許し、40000以上の兵力を召集してアギスの許へ進撃した[5]

戦い

編集

戦いはメガロポリス近郊で行われた。緒戦はスパルタ軍優位に運び、マケドニア軍を後退させた。アギスが投槍で腿を負傷して戦闘不能になったものの依然スパルタ軍は奮戦し、数で勝るマケドニア軍と渡り合った。しかし、やがて数で劣るスパルタ軍はマケドニア軍に押され始め、敗走した。アギスは部下たちに生きながらえるよう命じた上で自らは最後まで戦い、戦死した[6]

この戦いでディオドロスによればスパルタ側は5300人、マケドニア側は3500人の戦死者を出した[5]。クルティウスの記録ではマケドニア軍の戦死者は1000人だったが生存者のほとんどが負傷したという[7]。この戦いでの敗北が決定的敗北となり、スパルタのマケドニアへの反乱は失敗に終わった。

  1. ^ アッリアノス, II, 13
  2. ^ クルティウス, IV, 1, 39
  3. ^ ディオドロス, XVII, 62
  4. ^ アイスキネス, 165
  5. ^ a b ディオドロス, XVII, 63
  6. ^ クルティウス, VI, 1, 1-15
  7. ^ クルティウス, VI, 1, 16

参考文献

編集

外部リンク

編集