ミッキー・ルーニー

アメリカの俳優 (1920-2014)

ミッキー・ルーニー(Mickey Rooney, 1920年9月23日 - 2014年4月6日)は、アメリカ俳優歌手エンターテイナー。身長は160cmと小柄であった。

ミッキー・ルーニー
Mickey Rooney
Mickey Rooney
1945年
生年月日 (1920-09-23) 1920年9月23日
没年月日 (2014-04-06) 2014年4月6日(93歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州
職業 俳優
歌手
エンターテイナー
活動期間 1920年 - 2014年
配偶者 エヴァ・ガードナー (1942–1943)
B・J・ベイカー英語版 (1944–48)
マーサ・ヴィッカーズ (1949–1951)
エレーン・デヴリー (1952–58)
キャロリン・ミッチェル (1958–1966)
マージ・レーン (1966–1967)
キャロリン・ホケット (1969–1975)
ジャン・チェンバリン (1978–2014)
公式サイト The Official Mickey Rooney Site
主な作品
映画
紐育・ハリウッド
ザッツ・エンターテインメント
ベイブ/都会へ行く
受賞
アカデミー賞
アカデミー賞特別賞(1939年)
アカデミー賞名誉賞(1983年)
その他の賞
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来歴

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子役時代

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ニューヨーク州ブルックリンヴォードヴィル芸人の親の元に生まれる。なお、生名は「ジョセフ・ユール Jr.(Joseph Yule Jr.)」であった。

幼少時からボードヴィル・ショーに出演し、初舞台は生後17か月の時であった[1]。その後両親の離婚に伴いカリフォルニア州ハリウッドに移り、4歳の時に映画デビューした。

人気子役

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ハリウッドに移った後は、10歳で当時隆盛を誇ったメトロ・ゴールドウィン・メイヤーの専属となり、1933年に公開された『紐育・ハリウッド』を皮切りにミュージカル作品を中心に人気子役として活躍をつづけた。

 
初恋合戦』(1938)のルーニーとジュディ・ガーランド

1937年、ルーニーは『A Family Affair』のアンディ・ハーディ役に選ばれた[2]ライオネル・バリモア演じるジェイムス・K・ハーディ判事のコミカルな息子を演じた。予期せずヒットし、1937年から1946年までハーディ・シリーズとしてさらに13作が、1958年に最後の作品が制作された。なお2作目以降のハーディ判事役は、多くのサイレント映画で主演していたルイス・ストーンが演じた。

作家のバリー・モヌシュによると、MGMはハーディ・シリーズを家族全員が楽しめる作品にしたかった。ルーニーのキャラクターは小心者で活発で女好きな典型的なティーンエイジャーで、意図せずシリーズの主役となっていった。シリーズに関して「甘く、非常に理想化され、代り映えしない」とする批評家もいるが、この大ヒットはアメリカの小さな田舎町を当時の世相に沿って描いたことが受け入れられ、親たちはルーニーに理想の息子のイメージを思い描いた[3]

プライベートでも役柄と類似して活発で女好きなティーンエイジャーであった。『Stablemates』で共演したウォーレス・ビアリーはルーニーを「ガキ」だが「素晴らしい俳優」と評した[4]。MGM社長のルイス・B・メイヤーはルーニーのパブリックイメージを操作する必要があるとして、歴史家のジェーン・エレン・ウェインは以下のように記した:

メイヤーは全ての子役に対して自然に父親のように振舞っていた。ある時ルーニーは「やりたくない。不可能なことばかりさせられる」とわがままを言い、メイヤーはルーニーの襟元を掴み「私の言うことを聞け。プライベートでどう過ごそうと構わない。公の場でそういう行動をするな。人前では良い振舞いをしろ。君のファンたちはそれを求めている。君はアンディ・ハーディだ。君こそがアメリカだ。君こそが星条旗だ。正しい行動をしろ。君はシンボルなんだ」と語り、ルーニーは頷いた。ルーニーは「正しい行動をします。メイヤーさん。約束します」と語った。メイヤーは襟を放し「よろしい」と言った[5]

50年後、ルーニーはメイヤーとのやり取りは映画の主役スターに成長する過程で必要だったと後になって気付いたとして「皆が彼に頭を下げたが、彼も相手も互いに聞く耳を持っていた。そして互いに納得する。彼は撮影所に顔を出し、皆と話した。彼はコスモポリタニズムに則り民主的に進めたかったのだ」と語った[6]

 
1939年、ライオネル・バリモアの61歳の誕生日。後列左よりルーニー、ロバート・モンゴメリークラーク・ゲーブルルイス・B・メイヤーウィリアム・パウエルロバート・テイラー、前列左よりノーマ・シアラーライオネル・バリモアロザリンド・ラッセル
 
青春一座』(1939年)のルーニーとジュディ・ガーランド

1937年、『サラブレッド・ドント・クライ』で同じく子役として人気が高かったジュディ・ガーランドと初共演した[7]。ガーランドとルーニーは歌って踊るコンビとしてペアを組み『ブロードウェイ』などの数々の作品に出演し大ヒット作を連発し、親しい友人となった。二大スターの息の合ったコンビネーションは観客に好評であった[8]。ルーニーが主演したアンディ・ハーディ・シリーズのうち3作で、ガーランドはアンディに想いを寄せる少女を演じた。他に2人は『青春一座』(1939年)を含む数々のヒット・ミュージカルで共演した。19歳の頃、『青春一座』でのミッキー・モラン役の演技で第12回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、史上2番目に若い主演男優賞ノミネートとなった。1992年、ドキュメンタリー映画『MGM: When the Lion Roars』でのインタビューで、ガーランドとの友情について以下のように語った:[9]

ジュディと私はまるで同じ母体から生まれたかのようにとても親しかった。兄妹とは違うが、恋愛感情でもなかった。恋愛以上のもので、互いの想いの深さを説明するのは非常に難しい。とても特別なものであった。永遠の愛である。ジュディは(亡くなって23年経つが)いつも私の心の中に存在する。

ルーニーは次々と映画やラジオなどへの出演を果たすなど、1930年代には一躍スターダムにのし上がり、1939年には第11回アカデミー賞で子役賞を受賞した[10]

カムバック

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1941年12月にアメリカが第二次世界大戦に参戦した後、アメリカ軍の米国慰問協会に加わったのち1944年アメリカ陸軍に入隊し終戦までの間軍隊生活を送る。なお、入隊に先立つ1942年に女優エヴァ・ガードナーと結婚するも、間もなく破局した。なお、ルーニーは生涯で8回結婚している。

1945年9月に第二次世界大戦から復員し、映画界に戻るものの、その後子役時代のイメージが抜けず、一時期スランプに陥る。身長5フィート1インチ (1.55 m)[11]から5フィート2インチ (1.57 m)[12]で、年齢的にもはや10代の役もできず、男性主人公を演じるには身長が足りないことが多かった。1948年、『ワーズ&ミュージック』がガーランドとの最後の共演映画となった。1948年夏、CBSの連続ラジオ・ドラマ『Shorty Bell』に出演し、1949年から1950年、アンディ・ハーディ・シリーズのラジオ版で多くのオリジナル・キャストと共に出演した[13]

1950年代に入り性格俳優としてイメージチェンジしたことや、テレビショーに出たことで人気が持ち直し再び人気俳優となる。

性格俳優

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ティファニーで朝食を』のワンシーン

その後は1950年代から1960年代にかけていくつかの映画製作に携わった他、『ティファニーで朝食を』などの名作に重要な脇役として出演し、数回にわたりアカデミー助演男優賞の候補に挙がる。

『ティファニーで朝食を』において白人であるルーニーが演じたユニオシ日系アメリカ人という設定であるが、アメリカ社会におけるステレオタイプな悪意に満ちた日本人像(黒ぶちの眼鏡、出っ歯、低身長など)で描かれていた。

だが当時のアメリカは民族差別が公然と行なわれる人権後進国であり、公民権運動もまだ緒に付いたばかりで、映画表現においても日本人をはじめとするマイノリティへの民族差別表現は決してタブーではなかった。ルーニーや監督のブレイク・エドワーズが突出した人種差別主義者(レイシスト)だったわけではなく、ルーニー自身その後の人生において人種差別的な政治的活動に参加したり展開したことはないが、負のスティグマはルーニーについて回り、俳優を続けるにあたりその弁明をせざるを得なくなっている。

ブロードウェイ

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アメリカ軍慰問団のセレモニーにて(2000年)

映画やテレビなどで活躍を続ける中、1979年にブロードウェイ・デビューという大きな転機が訪れた。バーレスク時代を懐古するミュージカル・レビュー『Sugar Babies 』に元MGMのダンサーでありスターであるアン・ミラーと共に出演し称賛を受けた[14]。5年かけてニューヨークで1,208回上演後、ツアー公演に出演し、ロンドンで8ヶ月公演を行なった[15]。共演者のミラーはルーニーについて「休演することも、アドリブの機会をのがすことも、台詞をとちることもなかった」と語った[16]。伝記作家アルヴィン・マリルは「59歳というブロードウェイ遅咲きのデビューでショービズ界のトップに返り咲いた」と記した[16]

その後、スティーヴン・ソンドハイムの『ローマで起こった奇妙な出来事英語版』スードラス役でツアー公演に出演した[17]:351。1990年代、『ウィル・ロジャース・フォーリーズ英語版』閉幕までの数か月間、ウィルの亡き父の霊役で再びブロードウェイの舞台に立った[17]:547

1990年代半ば、『The Mind with the Naughty Man 』でカナダのディナー・シアターを巡るツアー公演に出演した[17]:548。1998年、マディソン・スクエア・ガーデンにて『オズの魔法使い』にアーサー・キット(のちにジョアン・ウォーリーに交代)と共に出演し、魔法使い役を演じた[17]:489

晩年

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ミュージカルからコメディ、シリアスドラマまでをこなすその高い演技力は称賛の的となり、1983年には映画界への貢献を称えられてアカデミー賞名誉賞を受賞した。

90歳を過ぎた晩年も現役俳優として、「ナイト ミュージアム」シリーズなどの数々の映画の大作やテレビドラマ、ショーに出演し活躍を続けた。

2014年4月6日、死去[18]。93歳没。

主な出演作

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公開年 邦題
原題
役名 備考
1932 街の野獣
The Beast of the City
ミッキー・フィッツパトリック クレジットなし
ファスト・コンパニオンス
Fast Companions
ミッジ
ギャング撃滅
High Speed
バディ・ホイップル
1933 男の一頁
The Life of Jimmy Dolan
フレックレス クレジットなし
紐育・ハリウッド
Broadway to Hollywood
テッド・ハケット3世(幼少期)
1934 男の世界
Manhattan Melodrama
ブラッキー
1935 真夏の夜の夢
A Midsummer Night's Dream
パック
噫、初恋
Ah, Wilderness!
トミー
港に異常なし
Riffraff
ジミー
1936 小公子
Little Lord Fauntleroy
ディック
腕白時代
The Devil Is a Sissy
スティーヴンス
1937 我は海の子
Captains Courageous
ダン
奴隷船
Slave Ship
スイフティ
サラブレッド・ドント・クライ
Thoroughbreds Don't Cry
ティミー・ドノヴァン
1938 海国魂
Lord Jeff
テリー
初恋合戦
Love Finds Andy Hardy
アンディ・ハーディ
少年の町
Boys Town
ホイッティー・マーシュ
1939 宿無しハックの冒険
The Adventures of Huckleberry Finn
ハックルベリー・フィン
青春一座
Babes in Arms
ミッキー・モラン アカデミー主演男優賞候補
1940 若い科学者
Young Tom Edison
トマス・エジソン
アンディ・ハーディ・ミーツ・デビュタント
Andy Hardy Meets Debutante
アンディ・ハーディ
ストライク・アップ・ザ・バンド
Strike Up the Band
ジミー
1941 感激の町
Men of Boys Town
ホイッティー・マーシュ
二人の青春
Life Begins for Andy Hardy
アンディ・ハーディ
ブロードウェイ
Babes on Broadway
トミー・ウィリアムズ
1943 町の人気者
The Human Comedy
ホーマー アカデミー主演男優賞候補
万雷の歓呼
Thousands Cheer
本人
ガール・クレイジー
Girl Crazy
ダニー・チャーチル・Jr
1944 青春学園
Andy Hardy's Blonde Trouble
アンディ・ハーディ
緑園の天使
National Velvet
マイ・テイラー
1948 サンマー・ホリデイ
Summer Holiday
リチャード・ミラー
ワーズ&ミュージック
Words and Music
ロレンツ・ハート
1949 大車輪
The Big Wheel
ビリー・コイ
1950 流砂
Quicksand
ダン
1953 腰抜けM・P
Off Limits
ハーバート・タトル
1954 トコリの橋
The Bridges at Toko-Ri
マイク
1955 讃美歌と拳銃
The Twinkle in God's Eye
1956 戦塵
The Bold and the Brave
ドーリー アカデミー助演男優賞候補
1957 殺し屋ネルソン
Baby Face Nelson
ベビーフェイス・ネルソン
1959 第三独房・地獄の待合室
The Last Mile
キラー・メアーズ
私刑(リンチ)街
The Big Operator
リトル・ジョン・ブラウン
1961 でっかい札束
King of the Roaring 20's: The Story of Arnold Rothstein
ジョニー・バーク
ティファニーで朝食を
Breakfast at Tiffany's
ユニオシ
1962 夢の渚
Follow That Dream
法廷の男
1963 おかしなおかしなおかしな世界
It's a Mad Mad Mad Mad World
ディング・ベル
1964 侵略戦線
The Secret Invasion
テレンス・スキャンロン
1965 ビキニガール・ハント
How to Stuff a Wild Bikini
ピーチー・ケイン
1967 GO!GO!GO!/ゴー!ゴー!ゴー!
Easy Come, Easy Go
酔っぱらい
1969 80歩大行進
80 Steps to Jonah
ウィルフレッド・バッシュフォード
1971 真夜中の喝采
The Manipulator
B.J. ラング
1972 悪の紳士録
Pulp
プレストン・ギルバート
1974 ザッツ・エンターテインメント
That's Entertainment!
-
1976 クレージーボーイ/香港より愛をこめて
Bons baisers de Hong Kong
マーティ
ボロ・コップ
Find the Lady
トリガー
ドミノ・ターゲット
The Domino Principle
スピヴェンタ
1977 ピートとドラゴン
Pete's Dragon
ランピー
1977 ラッシー
The Magic of Lassie
ガス
1979 ワイルド・ブラック/少年の黒い馬
The Black Stallion
ヘンリー・デイリー アカデミー助演男優賞候補
1984 天使がくれたクリスマス
It Came Upon the Midnight Clear
マイク・ハリガン テレビ映画
1986 白馬物語/勝利のゴール
Lightning, the White Stallion
バーニー・イングラム
1988 ブルー・グラス
Bluegrass
ジョン・ポール・ジョーンズ テレビ映画
1989 エリック・ザ・バイキング/バルハラへの航海
Erik the Viking
エリックの祖父
1992 レディ・スコルピオン
Sweet Justice
ゼキ
マックス・フォース
Maximum Force
警察署長 クレジットなし
1993 ザッツ・エンターテインメント PART3
That's Entertainment! III
-
1994 フルハウス
FULL HOUSE
ドレクホーン テレビドラマ
1話のみのゲスト出演
1998 夢の旅路
Animals with the Tollkeeper
トールキーパー
ベイブ/都会へ行く
Babe: Pig in the City
ファグリー・フルーム
2000 シアターの怪人
Phantom of the Megaplex
ムーヴィー・メイソン テレビ映画
2006 ナイト ミュージアム
Night at the Museum
ガス
2011 ザ・マペッツ
The Muppets
2014 ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密
Night at the Museum: Secret of the Tomb
ガス

舞台

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受賞歴

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脚注

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  1. ^ Life Is Too Short. Autobiography (1991). ISBN 978-0-679-40195-7
  2. ^ Current Biography 1942. H.W. Wilson Co. (January 1942). pp. 704–06. ISBN 99903-960-3-5.
  3. ^ Monush, Barry (2003). Screen World Presents the Encyclopedia of Hollywood Film Actors: From the silent era to 1965. Applause Theatre & Cinema Books. pp. 648–651. ISBN 978-1-55783-551-2. https://books.google.com/books?id=ddcLyAEACAAJ 
  4. ^ Marx 1986, p. 68.
  5. ^ Wayne, Jane Ellen (2005). The Leading Men of MGM. Carroll & Graf Publishers. p. 246. ISBN 978-0-7867-1475-9. https://archive.org/details/isbn_9780786714759 
  6. ^ Eyman, Scott (2005). Lion of Hollywood: The Life and Legend of Louis B. Mayer. Pavilion Books. p. 323. ISBN 978-1-86105-892-8. https://books.google.com/books?id=q0ldNR7gZ1oC 
  7. ^ Longworth, Karina (October 30, 2015). “The Long, Fruitful, and Tortured Relationships Between Judy Garland, Mickey Rooney, and MGM”. Slate Magazine. September 3, 2019閲覧。
  8. ^ Harris, Aisha (April 7, 2014). “Remembering Mickey Rooney With a Few of His Greatest Musical Performances”. Slate Magazine. September 3, 2019閲覧。
  9. ^ Rooney, Mickey (1992). "The Lion Reigns Supreme". MGM: When the Lion Roars.
  10. ^ 俳優ミッキー・ルーニーさんが死去 93歳 『ティファニーで朝食を』の日系人・ユニオシ役など - シネマトゥデイ
  11. ^ "U.S., World War II Draft Cards Young Men, 1940-1947 for Mickey Rooney," 15 February 1942, Ancestry.com. [database on-line]. Lehi, UT, USA: Ancestry.com Operations, Inc., 2011
  12. ^ Mickey Rooney obituary: women liked me because I made them laugh”. The Guardian (April 7, 2014). April 7, 2014閲覧。
  13. ^ Dunning, John (1998). On the Air: The Encyclopedia of Old-Time Radio. Oxford University Press, USA. p. 310. ISBN 978-0-19-507678-3. https://archive.org/details/onairencyclop00dunn 
  14. ^ Harmetz, Aljean (April 7, 2014). “Mickey Rooney, Master of Putting On a Show, Dies at 93”. The New York Times: p. 1. https://www.nytimes.com/2014/04/07/arts/mickey-rooney-master-of-putting-on-a-show-dies-at-93.html?ref=obituaries&_r=0%20www.nytimes.com/2014/04/07%20Mickey%20Rooney%20master%20of%20putting%20on%20a%20show,%20dies%20at%2093 April 9, 2014閲覧。 
  15. ^ Video: "Ann Miller and Mickey Rooney at the Palladium, 1988" - YouTube 8 min.
  16. ^ a b Marill, Alvin H. (2005). Mickey Rooney: His Films, Television Appearances, Radio Work, Stage Shows, And Recordings. Jefferson NC: McFarland. p. 50. ISBN 0-7864-2015-4. https://books.google.com/books?id=h5WZOvH8VSUC&printsec=frontcover#v=onepage&q&f=false 
  17. ^ a b c d Lertzman, Richard A.; Birnes, William J. (2015). The Life and Times of Mickey Rooney. Gallery Books. pp. 24–27. ISBN 1-5011-0096-3. https://books.google.com/books?id=hrz_BgAAQBAJ&pg=PT78 December 12, 2015閲覧。 
  18. ^ 俳優ミッキー・ルーニーさんが死去 93歳 『ティファニーで朝食を』の日系人・ユニオシ役など シネマトゥデイ 2014年4月7日

外部リンク

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