マーク・ピレイ
人物
編集サイモンフレーザー大学で心理学の学位を取得した。
経歴
編集南アフリカ人の父とイギリス人の母の元にサスカチュワン州のムースジョーで育つ。近所に住んでいたジャナ・ビーズリーの影響でスケートを始め、彼女とカップルを組みアイスダンスを始めた。しかし、パートナーの身長が伸びたためカップルは解散し、男子シングルに専念することになった。
最初に師事したのは13代サスカチュワン州知事、ローン・キャルバートの妻であるベティ・キャルバートとデール・ヘーゼルだった。カルガリーへ練習拠点を移してからはシャロン・ラリヴィエールにスケートを教わった。バンクーバーではジョアン・マクラウドに教わり、2001年にカナダ選手権に出場し27位。大会後に現役を引退した。
引退後はサイモンフレーザー大学に進学。授業中長時間着座するイライラを解消するために、コンテンポラリーダンスの勉強を大学で始めた。ノービススケーターの母親から振付の依頼を受けたことをきっかけに、2002年に振付師としての道を歩むことになった。
振付をし始めて数年経ち、エマニュエル・サンデュよりトリノオリンピックの行われる2005-2006シーズンを戦うFSの振付依頼を受けた。サンデュはバンクーバーの作曲家、ゴードン・コブの音楽を使ったプログラムでグランプリシリーズで2戦連続優勝するなどの結果を残した。コブとの親交は現在に至るまで続いており、ピレイの担当するプログラムの編曲を行っている。
2009年にはバンクーバーオリンピック組織委員会の依頼を受け、オリンピックのプレイベントである四大陸選手権のオープニング、クロージングセレモニーとエキシビションの振付を行った。
シンクロナイズドスケーティングチーム、ネクシスの指導をした後、2009-2010シーズンからカーステン・ムーア=タワーズ/ディラン・モスコビッチ組の振付を始め、ペアが解散する2013-2014シーズンまで担当した。
バンクーバースケーティングクラブを拠点とし、世界各国のスケーターのプログラムの振付を行っている。