ボブ・ブラッドリー
ロバート・フランク・"ボブ"・ブラッドリー(Robert Frank "Bob" Bradley, 1958年3月3日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州エセックス郡モントクレア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
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2009年のブラッドリー | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ロバート・フランク・ブラッドリー Robert Frank Bradley | |||||
愛称 | Bob | |||||
ラテン文字 | Bob BRADLEY | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||
生年月日 | 1958年3月3日(66歳) | |||||
出身地 | モントクレア | |||||
ユース | ||||||
年 | チーム | |||||
1976-1980 | プリンストン・タイガース | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1981-1983 | オハイオ・ボブキャッツ | |||||
1983-1984 | ヴァージニア・キャヴァリアーズ (アシスタント) | |||||
1984-1985 | プリンストン・タイガース | |||||
1996 | アメリカ合衆国 U-23 (アシスタント) | |||||
1996-1997 | D.C. ユナイテッド (アシスタント) | |||||
1998-2002 | シカゴ・ファイアー | |||||
2003-2005 | メトロスターズ | |||||
2006 | チーヴァズUSA | |||||
2006-2007 | アメリカ合衆国 U-23 | |||||
2006-2011 | アメリカ合衆国 | |||||
2011-2013 | エジプト | |||||
2014-2015 | スターベク | |||||
2015-2016 | ル・アーヴル | |||||
2016 | スウォンジー・シティAFC | |||||
2018-2021 | ロサンゼルスFC | |||||
2021-2023 | トロントFC | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集1981年、22歳の時にオハイオ大学でサッカー指導者としてのキャリアを開始する。1983年、彼の前のアメリカ代表監督だったブルース・アリーナに誘われ、バージニア大学で彼の元でアシスタントコーチを務める。1984年、プリンストン大学で監督に就任。同大学を11年にも亘り指導する。 1996年、新しくスタートしたメジャーリーグサッカー(MLS)のD.C. ユナイテッドで再びブルース・アリーナの元でアシスタントコーチを務める。
1998年、新しくMLSに加入したシカゴ・ファイアーの監督に就任。チームをMLSカップとUSオープンカップの2冠に導き、その年のMLSのコーチ・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀監督)を受賞する。 その後、メトロスターズ(現ニューヨーク・レッドブルズ)、チーヴァスUSAの監督を歴任。チーヴァスUSAでは前年最下位だったチームをプレーオフまで導き、自身2度目となるコーチ・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀監督)を受賞した。
2006年12月、2006 FIFAワールドカップでの成績の責任を取り退任したブルース・アリーナの後任としてアメリカ代表監督に就任。2007年6月にアメリカで行われた2007 CONCACAFゴールドカップで見事に4回目の優勝を果たし評価を高めるが、その直後に行われたベネズエラで行われたコパ・アメリカ2007ではグループリーグ全敗で終えて批判を受ける。
2009年6月、北中米代表としてFIFAコンフェデレーションズカップ2009に出場。グループリーグを辛くも突破し、準決勝でスペインを撃破[注釈 1]。決勝でもブラジルを相手に2点をリードしあと一歩のところまで追い詰めたものの、2-3で敗れた。
2010 FIFAワールドカップでは一時グループリーグ敗退の危機もあったが、最終的にはグループリーグを1位突破してベスト16を成し遂げる。2010年8月、契約を4年延長した。
2011 CONCACAFゴールドカップでの低パフォーマンスが要因で、2011年7月28日にアメリカ合衆国サッカー連盟により解任された[1]。
同年9月14日、エジプト代表監督への就任が決定した。しかし、2014 FIFAワールドカップ・アフリカ3次予選においてガーナとの一戦で2試合合計スコア3-7と敗北しワールドカップ出場権を獲得出来ず解任された。
2014年1月2日、ノルウェーのスターベクIFの監督に就任。
2015年11月10日、リーグ・ドゥのル・アーヴルACと契約を結んだ[2]。
2016年10月3日、スウォンジー・シティAFCの監督に就任した。
2017年7月27日、2018年からMLSに参戦するロサンゼルスFCの監督に就任することが発表され、翌年1月1日に就任した。 2019年シーズンでは、リーグ1位となり、サポーターズ・シールドを獲得した。
人物
編集- サッカー選手のマイケル・ブラッドリーは実子。2006年から2011年まで在任していたアメリカ代表では父親が監督、息子が選手という形で活躍していた。また同じくサッカー選手のアンディ・ローズは義理の息子(娘婿)である。
- ブラッドリーには2人の弟がいる。2歳年下のスコットは1980年代にシアトル・マリナーズに在籍した経験を持つ元メジャーリーガーであり、年齢差は不明だがもう一人の弟ジェフはスポーツ雑誌ESPN The Magazineの記者である。
タイトル
編集指導者時代
編集- シカゴ・ファイアー
- ロサンゼルスFC
- サポーターズ・シールド:1回(2019)
- アメリカ合衆国代表
- CONCACAFゴールドカップ:1回(2007)
- 個人
- MLS年間最優秀監督:3回(1998、2006、2019)
監督成績
編集- 2016年12月27日現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||||
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試合 | 勝ち | 分け | 負け | 勝率 % | |||||
シカゴ・ファイアー | 1997年10月30日 | 2002年10月5日 | 195 | 109 | 20 | 66 | 55.90 | ||
メトロスターズ | 2002年10月21日 | 2005年10月4日 | 100 | 36 | 26 | 38 | 36.00 | ||
チーヴァスUSA | 2005年11月23日 | 2006年12月8日 | 35 | 11 | 14 | 10 | 31.43 | ||
アメリカ代表 | 2006年12月8日 | 2011年7月28日 | 80 | 43 | 12 | 25 | 53.75 | ||
エジプト代表 | 2011年9月14日 | 2013年11月20日 | 36 | 24 | 5 | 7 | 66.67 | ||
スターベクIF | 2014年1月3日 | 2015年11月10日 | 72 | 38 | 11 | 23 | 52.78 | ||
ル・アーヴルAC | 2015年11月10日 | 2016年10月3日 | 37 | 17 | 10 | 10 | 45.95 | ||
スウォンジー・シティAFC | 2016年10月3日 | 2016年12月27日 | 11 | 2 | 2 | 7 | 18.18 | ||
ロサンゼルスFC | 2018年1月1日 | ||||||||
合計 | 566 | 280 | 100 | 186 | 49.47 |
脚注
編集注釈
編集- ^ この試合までスペインは国際Aマッチ15連勝中、35戦無敗としており、無敗の世界記録の更新がかかっていた。
出典
編集- ^ ブラッドリー代表監督を解任 米国サッカー協会 - スポーツナビ 2011年7月30日閲覧
- ^ “Former U.S. coach Bob Bradley takes over as manager of Le Havre”. ESPN FC (2015年11月10日). 2016年5月23日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- Bob Bradley - Manager profile Transfermarkt