ボフニャ(ポーランド語:Bochnia ['bɔxɲa] ( 音声ファイル))は、南ポーランドラバ川英語版沿いにある、人口が約30,000人の町である。ボフニャは、東のタルヌフと西の県都であるクラクフの約中間(それぞれボフニャから38km)に位置する。ボフニャには1248年ごろに建設された、ヨーロッパで最も古い岩塩坑がある。

ボフニャ
ボフニャの旗
ボフニャの紋章
紋章
ボフニャの位置(ポーランド内)
ボフニャ
ボフニャ
座標:北緯49度59分 東経20度26分 / 北緯49.983度 東経20.433度 / 49.983; 20.433座標: 北緯49度59分 東経20度26分 / 北緯49.983度 東経20.433度 / 49.983; 20.433
ポーランドの旗 ポーランド
マウォポルスカ県
ボフニャ郡
建設 1198年
町制施行 1253年
政府
 • 市長 Magdalena Łacna (PO)
面積
 • 合計 29.87 km2
人口
(2021年12月31日)[2][3]
 • 合計 29,317人
 • 密度 981人/km2
等時帯 UTC+1 (CET)
 • 夏時間 UTC+2 (CEST)
郵便番号
32-700
市外局番 +48 14
ナンバープレート KBC
ウェブサイト http://www.bochnia.pl

1999年の地方行政区画再編により、ボフニャはマウォポルスカ県ボフニャ郡の郡都となっている。1999年以前はタルヌフ県の一部であった。

歴史

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ボフニャは、小ポーランドの最も古い都市の一つである。ボフニャが初めて資料に出てくるのは、1198年の手紙である。その手紙は、ラテン・エルサレム総大司教であるHaymarus Monachus(Aymar the Monk)が、地元の有力者Mikora Gryfitaによる、ミエフフ英語版の聖墳墓の僧院への寄付を確かめたという内容である。1248年の大きな岩塩の鉱脈の発見は、ボフニャをボレスワフ5世による1253年2月27日の都市特権(マグデブルク法)の認定へと導いた。

町の風景

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  • 世界で最も古い岩塩坑は、今も町の下にある。
  • 聖ニコラスバシリカ聖堂
  • 古い町並みと歴史的な建物
  • レオポルト・オクリツキカジミェシュ3世の像
  • オラツカ通りの古い墓地
  • カトリックの墓地
  • ユダヤ人の墓地

岩塩坑

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地下教会

ボフニャ岩塩坑(ポーランド語:Kopalnia soli Bochnia)はヨーロッパで最も古く、世界でも最も古いものの一つである。岩塩坑は岩塩がボフニャで発見された後、12~13世紀の間に建設された。岩塩の広さは、長さにして4、5km、深さにして468mある。人の住まなくなった空間、縦坑、横坑は地下都市を形成している。それは現在、観光客に公開されている。最も大きい保存された空間は保養地に転用されている。

教育

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  • 経済高等専門学校

有名人

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姉妹都市

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関連項目

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脚注

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  1. ^ Local Data Bank”. bdl.stat.gov.pl. Statistics Poland. 9 October 2022閲覧。 Category K1, group G441, subgroup P1410. Data for territorial unit 1201011.
  2. ^ Local Data Bank”. bdl.stat.gov.pl. Statistics Poland. 9 October 2022閲覧。 Category K3, group G7, subgroup P1336. Data for territorial unit 1201011.
  3. ^ Local Data Bank”. bdl.stat.gov.pl. Statistics Poland. 9 October 2022閲覧。 Category K3, group G7, subgroup P2425. Data for territorial unit 1201011.
  4. ^ Oficiálne stránky mesta Kežmarok”. kezmarok.sk. 2010年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月8日閲覧。

外部リンク

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