ホンダ・アスコット
概要
編集初代 CB1/2/3/4型(1989-1993年)
編集ホンダ・アスコット(初代) CB1/2/3/4型 | |
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前期型 | |
概要 | |
製造国 | 日本 |
販売期間 | 1989年9月 - 1993年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドア セダン |
駆動方式 | FF |
パワートレイン | |
エンジン |
F18A型:1.8L 直4 SOHC F20A型:2.0L 直4 SOHC キャブ F20A型:2.0L 直4 SOHC PGM-FI F20A型:2.0L 直4 DOHC |
最高出力 |
F18A型:105PS/6,000rpm F20A型(SOHC キャブ):110PS/6,000rpm F20A型(SOHC PGM-FI):130PS/5,500rpm → 135PS/5,400rpm F20A型(DOHC):150PS/6,100rpm |
最大トルク |
F18A型:14.6kgf·m/4,000rpm F20A型(SOHC キャブ):16.1kgf·m/3,800rpm F20A型(SOHC PGM-FI):18.1kgf·m/4,500rpm → 18.5kgf·m/4,300rpm F20A型(DOHC):19.0kgf·m/5,000rpm |
変速機 | 4速AT/5速MT |
前 |
前:ダブルウィッシュボーン 後:ダブルウィッシュボーン |
後 |
前:ダブルウィッシュボーン 後:ダブルウィッシュボーン |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,720mm |
全長 | 4,680mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,390mm |
車両重量 | 1,180-1,360kg |
その他 | |
姉妹車 | ホンダ・アコード(4代目) |
販売終了前月までの新車登録台数の累計 | 8万5534台[1] |
1989年9月13日に、4代目アコードの姉妹車として登場した。アコードCAの廃止と、アコードがクリオ店の専売モデルとなったことで穴が空いたプリモ店で販売が行われた。スマートかつ先進的ムードのアコードに対して、6ライトウインドウの明るい外観とセダンらしい保守的でフォーマルなデザインがなされ、アコードには無い本革シートを装備したグレードも存在した。インパネもアコードと異なるデザインが与えられた。その他は基本的にアコードと同一であり、一部のグレードにはメーカーオプションとして4WSも用意されていた。
エンジンもアコードと同一のアルミ合金ブロックを使用した新開発のF型で、1.8Lと2.0Lがラインナップされたが、1991年8月のマイナーチェンジで、2.0L 電子制御キャブレター仕様(110PS)が廃止された。
キャッチコピーは「Aセダン」。初期のCM出演者は菅原文太と山下真司。
アコードと比べ、バブル期に登場した車の中では販売台数が少ない。この販売台数の不振から、次期型ではより上質な走りとタッチを達成するために、マルチシリンダー(直列5気筒)エンジンとFFミッドシップレイアウト採用に至った。
1990年、スポーツ感覚のグレード「FBT-i」追加。CMソングはエリック・クラプトンの「BAD LOVE」、TVCMにも上記の2名に代わり出演した。
1991年7月マイナーチェンジ。フロント周りとテール周りが新意匠となり、インパネのデザインがアコードと共通となった。
1992年3月3日に、欧州仕様のアコード及びその兄弟車ローバー・600をハードトップ化したアスコットイノーバが登場した。
1993年9月[2]に生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
1993年10月に2代目と入れ替わる形で販売終了。
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後期型
2代目 CE4/5型(1993-1997年)
編集ホンダ・アスコット(2代目) CE4/5型 | |
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フロント | |
リア | |
概要 | |
製造国 | 日本 |
販売期間 | 1993年10月 - 1997年9月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドア セダン |
駆動方式 | FF |
パワートレイン | |
エンジン |
G20A型:2.0L 直5 SOHC G25A型:2.5L 直5 SOHC |
最高出力 |
G20A型:160PS/6,700rpm G25A型:180PS/6,500rpm |
最大トルク |
G20A型:19.0kgf·m/4,000rpm G25A型:23.0kgf·m/3,800rpm |
変速機 | 4速AT/5速MT |
前 |
前:ダブルウィッシュボーン 後:ダブルウィッシュボーン |
後 |
前:ダブルウィッシュボーン 後:ダブルウィッシュボーン |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,770mm |
全長 | 4,555mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,425mm |
車両重量 | 1,280-1,380kg |
その他 | |
姉妹車 | ホンダ・ラファーガ |
プラットフォーム共有車種 |
ホンダ・インスパイア(初代) ホンダ・ビガー(3代目) |
系譜 | |
後継 |
ホンダ・トルネオ ※ラファーガと統合 |
1993年10月14日に、アコードから独立してフルモデルチェンジが実施された。新たにベルノ店専売のラファーガが姉妹車となった。プラットフォームは初代アコードインスパイア/3代目ビガーのものを使用している。
ボディは先代同様オーソドックスなサッシュドアを用いた4ドアセダンのみであり、ベースの初代インスパイアより全長は短かったものの、全高がたっぷりとられたことにより居住性やトランクスペースの向上につながった。しかし、室内にミッションが張り出すFFミッドシップレイアウトのため、同年デビューのオーソドックスな横置きレイアウトをとる5代目アコードと比べ、広々感では劣る。
初代インスパイア/ビガーの3ナンバー車に搭載されていた直列5気筒エンジンのG20A型とG25A型を設定。インスパイア/ビガーの3ナンバー車に搭載されていたバランサーを持たない改良型で、ともにレギュラーガソリン仕様だった。
基本的には先代から5ナンバーサイズを維持しているものの2.5L車のみ排気量の都合上、ベースの初代インスパイア/ビガー及びイノーバの2.3L車と同じく3ナンバー登録となる。
主力のアメリカ市場の安全基準に伴い、3ナンバーボディを採用した5代目アコードの国内マーケットの補完と、中級乗用車のマーケット獲得を念頭に開発された。しかしバブル崩壊後に開発された飾り気のないプレーンなボディはややインパクトに欠け、またプラットフォームを共用するインスパイア/ビガーとの明確なセグメント分けが曖昧だったことも災いし、ホンダが期待するようなセールスを獲得することは適わなかった。後にダンパー、スプリング、サスペンションブッシュをややハードに仕立てたスポーティグレードの「CS」を2.0Lに追加したが、2.5Lモデルでも開発が進められ、すでに仕上がっていた。しかし、営業サイドの意向で発売には至らなかった[3]。その後も販売成績が好転することなく、1997年8月[4]に生産終了し、9月に再び5ナンバーボディに回帰した6代目アコードの登場と共に販売を終了した。ラファーガと集約され、事実上の後継車は6代目アコードの姉妹車であるトルネオ。販売期間中の新車登録台数の累計はイノーバと一部合算して3万7617台[5]。
車名の由来
編集- Ascot:「アスコット競馬」や「アスコット・タイ」で知られる英国の地名。この地が持つ上品で明るいイメージにちなんで名づけられた。
取扱販売店
編集脚注
編集- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第83号11ページより。
- ^ “アスコット(ホンダ)1989年9月~1993年9月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月21日). 2020年1月21日閲覧。
- ^ “「アスコット&ラファーガはFRで出るはずだった!?」匿名インタビューで噂の真相に迫る!”. web option(ウェブ オプション). 2022年4月21日閲覧。
- ^ “アスコット(ホンダ)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月20日). 2020年1月20日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第65号9ページより。