プラッツ大泉
プラッツ大泉(プラッツおおいずみ)は、東京都練馬区東大泉の東映東京撮影所敷地内にあるショッピングセンターである[2][3]。1983年(昭和58年)4月23日開業[2]。
プラッツ大泉 PLATZ OIZUMI | |
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プラッツ大泉 | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒178-0063 東京都練馬区東大泉2-10-11 |
座標 | 北緯35度45分8.2秒 東経139度35分43.5秒 / 北緯35.752278度 東経139.595417度座標: 北緯35度45分8.2秒 東経139度35分43.5秒 / 北緯35.752278度 東経139.595417度 |
開業日 | 1983年4月23日 |
施設所有者 | 東映株式会社 |
施設管理者 | 株式会社西友 |
設計者 | 坂倉建築研究所 |
施工者 | 竹中工務店 |
敷地面積 | 18,868 m² |
延床面積 | 43,263 m² |
商業施設面積 | 8,108 m² |
中核店舗 | リヴィン OZ大泉店 |
駐車台数 | 784台 |
前身 | 東映東京撮影所(一部)[1] |
最寄駅 | 西武池袋線 大泉学園駅 |
最寄IC |
関越道練馬I.C. 東京外環大泉I.C. |
外部リンク | リヴィン オズ大泉店 |
LIVIN |
最寄り駅は西武池袋線大泉学園駅と石神井公園駅だが、いずれの駅からも約1km程度離れている。石神井公園駅北口から出ている西武バスで、石神井循環もしくは成増駅行きバスを利用すると東映撮影所前停留所まで数分である。店舗前の道路「東映通り」を挟んで向かいにあるシネマコンプレックス、飲食店などからなる複合施設「OZ STUDIO CITY」と対をなしている。施設はティ・ジョイと西武リアルティソリューションズが共同運営している。
概要
編集1983年(昭和58年)4月23日、東映東京撮影所のオープンセット跡地に開業した[2]。オープンセレモニーには東映側から岡田茂、西友側から堤清二が出席した[2]。東映の社史に開店初日は7万人[2]、同年4月29日には11万人の来客があったと記述されている[2]。
1980年代のセゾングループによる特徴的な建築デザインは当時から高く評価され、開業翌年の1984年(昭和59年)に商業空間デザイン賞、照明学会賞を受賞した[4]。前面のシースルーエスカレーターが目立つ店舗は地域のランドマークともなっており[2]、テレビドラマの撮影などにも使用されている。
核店舗であるリヴィンオズ大泉店は、ショッピングセンター開業と同時に西友オズ大泉店として開業。その後オズ大泉西武店(西武百貨店の意匠を利用した西友の百貨店型大型店舗)の名称を経て、現在のリヴィンオズ大泉店となっている。
西武百貨店池袋店などで開講していたカルチャーセンター「西武コミュニティカレッジ」[5]を、オズ大泉店でも開業以来「西友コミュニティ・カレッジ大泉」として開講してきた。コミュニティカレッジの受講者向けに、大泉学園駅北口から無料シャトルバスが運行されていた。シャトルバスは西武総合企画大泉営業所が運行受託しており、ライオンズカラーの日産・シビリアンが使用されていた。2009年(平成21年)12月31日をもってコミュニティカレッジは終了となり、無料シャトルバスも同日廃止された。
歴史
編集1971年8月、大川博初代東映社長の逝去で、同月に二代目東映社長に就任した岡田茂は[3]、非効率な京都(東映京都撮影所)と東京(東映東京撮影所)のどちらかの撮影所を潰すという考えを持った[6]。就任以降、事業多角化を推進し[7]、京都撮影所に1975年開村した東映太秦映画村は軌道に乗り[8]、一方の東京撮影所の有効利用として推進されたのが本プロジェクトの始まりである[9][10]。1975年から構想が練られ[2]、1978年春に岡田が堤清二西武百貨店社長に会い、二人で原則的な方向を決めた[10]。東京撮影所の遊んでいる5,500坪を使い3ー4階建てのビルを建て、メインテナントとして西友ストアを誘致し、残りを東映として何をやるかプランニングを実施したが、地域住民とのコンセンサスがないと成り立たないため、慎重に取り組んだ[10]。当時渋谷の東急ハンズがよく繁盛し、東宝が手掛けた日曜大工センターも売上げを伸ばしていたことから、社員から同種の商売をやらせて欲しいと要望があったが、岡田が「シロウトが取り組んでも成功しない」と極端に映像事業とは離れるアイデアは却下させた[10]。岡田は同姓同名の岡田茂三越社長と仲がよく[11][12]、ボウリング場の転用などで岡田三越社長から流通に関するアドバイスをいろいろ受けていた[12]。
正式に商業施設のキーテナントとして西友が決定したとマスメディアに発表されたのは、1978年8月22日に銀座の東映本社会議室であった記者会見の席上で[9]、岡田東映社長が2時間も熱弁をふるい[9]、『宇宙からのメッセージ』の海外での成功の自慢話と、石森章太郎や松本零士ら外部顧問を招聘して、こども向け事業の総合的な展開計画の構想と合わせ[9]、本建設計画について詳細を説明した[9]。このときの発表では「映画業界の構造変化に対応し、東京撮影所の資産と人材の有効活用を図るとともに、将来の多角的な事業展開の拠点を確立すべく、同撮影所の一部を開発し、ウチが永年培ってきた企画・演出力をフルに生かし、近年開発した太秦映画村のように映像開発事業のノウハウを駆使し、単なる商業施設の集積にとどまらない『購買』『余暇行動』『情報』と多様化している消費者のニーズに応え得るユニークなコミュニティセンターの建設計画を決めた」などと述べ[9]、概要として「東京撮影所の南側のオープン・セット用地をこれに充て、使用敷地面積5,500坪、建物面積延べ8,700坪、鉄筋コンクリート造・地下1階、地上3階塔屋1階、店舗面積5,900坪。このうち東映使用面積はサブテナントも含めて1,900坪。西友が4,000坪。売上高は年間840億円を目標とする。着工は1979年6月頃、竣工は1980年5月頃、開店は1980年6月頃を予定している…周辺及び、埼玉県南部を含む広範囲む名地域を対象とし、ファミリー客とともに独立行動のできる若者層を顧客としたい」などと説明した[9]。東京撮影所の南側のオープン・セットというのは銀座の街を模したオープンセットのこと[13]。
年表
編集テナント
編集売場フロアは地下1階から地上5階までで、リヴィンオズ大泉店を核店舗として、そのほか専門店が出店する。5階はレストラン街である[15]。過去にセゾングループに属していた、または西友が資本参加していた企業もテナント出店している。
周辺
編集- 東映東京撮影所
- 東映アニメーション 大泉スタジオ・東映アニメーションミュージアム
- OZ STUDIO CITY(T・ジョイSEIBU大泉)
交通アクセス
編集脚注
編集- ^ 東京撮影所地区 | 東映株式会社
- ^ a b c d e f g h i j 岡田茂「他事業 東撮地区に郊外型SC『プラッツ大泉』オープン」『クロニクル東映 1947-1991』 2巻、東映株式会社、1992年、79頁。
- ^ a b “沿革”. 東映. 2018年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月10日閲覧。
- ^ 坂倉建築研究所
- ^ “池袋コミュニティカレッジ”. セブンカルチャーネットワーク. セブン&アイホールディングス. 2020年8月2日閲覧。
- ^ 東映株式会社総務部社史編纂 編『東映の軌跡』東映、2016年、242-244頁。「映画・トピック・ジャーナル 東映両撮影所を合理化縮小か」『キネマ旬報』1977年7月上旬号、キネマ旬報社、206頁。鈴木則文『東映ゲリラ戦記』筑摩書房、2012年、86-99頁。ISBN 978-4-480-81838-6。杉作J太郎、植地毅「佐伯俊道インタビュー」『東映スピード・アクション浪漫アルバム』徳間書店、2015年、170頁。ISBN 978-4-19-864003-3。佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第十五回 ふんどし芸者の大乱戦」『シナリオ』2013年8月号、日本シナリオ作家協会、56頁。
- ^ 96.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」第3節「新社長岡田茂の新事業スタート」、113.第6節「東映俳優養成所誕生」 - 創立70周年特別寄稿『東映行進曲』“第3回〝不良性感度〟という二代目社長岡田茂のビジョン 映画は死なず 実録的東映残俠伝― 五代目社長 多田憲之が見た東映半世紀 1972~2021― 文=多田憲之(東映株式会社代表取締役会長)p.1-2”. CONEX ECO-Friends. (2022年). オリジナルの2022年1月27日時点におけるアーカイブ。 2025年1月10日閲覧。木村智哉『東映動画史論 経営と創造の底流』日本評論社、2020年、156–158,200–205頁。ISBN 978-4-535-55963-9。「儲かるものなら何でもやる!! 岡田社長、東映の企業体系を語る」『映画時報』1972年10月号、映画時報社、4–18頁。池田静雄取締役事業部長他、東映幹部計12人、司会・北浦馨「50億から100億ー 各支社の大胆最新の経営戦略 東映特殊部隊映像事業部の活躍」『映画時報』1983年8,9月号、映画時報社、4–5頁。「匿名座談会 ヘンシンを余儀なくされる映画産業の構造 ゴルフ場経営まで 総合レジャー産業に発展 儲かるものなら何でもの岡田方式 映像中心にあらゆる職種に進出」『映画時報』1972年11月号、映画時報社、7-9頁。竹入栄二郎「映画40年全記録」『キネマ旬報増刊』1986年2月13日号、キネマ旬報社、15頁。浜田奈美 (2011年5月17日). “『映画は商品』持論貫く 岡田茂・東映名誉会長”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 1
- ^ 斉藤守彦『映画を知るための教科書 1912~1979』文藝春秋、2016年、180-182頁。ISBN 978-4-8003-0698-2。
- ^ a b c d e f g “岡田社長二時間の熱弁 その三大ニュースの内容!”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1978年8月26日)
- ^ a b c d 文化通信社 編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、118,173–174頁。ISBN 978-4-636-88519-4。
- ^ 「トピックス 三越映画進出の賑やかな周辺 ー社長同士が仲のいい東映とドッキングかー」『実業界』1977年11月15日号、株式会社実業界、19頁。「邦画マンスリー 洋画に大攻勢をかけた秋の大作戦線と、転換期を迎えた邦画界」『ロードショー』1977年12月号、集英社、189頁。
- ^ a b 「呼吸はピッタリ二人の岡田茂氏」『週刊文春』1973年9月10日号、文藝春秋、24頁。
- ^ “東映東京撮影所の<いま> ~東映東京撮影所所長・木次谷良助氏が語る~”. 映像∞文化のまち ねりま. 練馬区役所 (2023年9月19日). 2025年1月10日閲覧。
- ^ “ウォルマートがついに日本上陸 住友商事が仲介、将来は西友を傘下に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年3月18日)
- ^ a b c d e f g h i j リヴィン オズ大泉店 株式会社西友
関連項目
編集外部リンク
編集- リヴィン オズ大泉店 - 西友