ブルドッグ・ブラワー
ディック "ザ・ブルドッグ" ブラワー(Dick "The Bulldog" Brower、本名:Richard Gland、1933年9月17日 - 1997年9月15日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。デラウェア州ウィルミントン出身。
ブルドッグ・ブラワー | |
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1979年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ブルドッグ・ブラワー ディック・ブラワー ディック "ザ・ブルドッグ" ブラワー |
本名 | リチャード・グランド |
ニックネーム |
猛犬[1] The Delaware Destroyer[2] The One Man Riot Squad[3] |
身長 | 173cm - 178cm |
体重 | 120kg - 127kg |
誕生日 | 1933年9月17日 |
死亡日 | 1997年9月15日(63歳没) |
出身地 |
アメリカ合衆国 デラウェア州 ニューキャッスル郡ウィルミントン |
トレーナー | スチュ・ハート |
デビュー | 1958年[3] |
引退 | 1988年[3] |
ニューヨークやオハイオなどのアメリカ北東部や、デトロイトやトロントなどの五大湖地区を主戦場に、ヒールのブルファイターとして活躍した[1][2]。
来歴
編集5歳で20キロの丸太を担いだという伝説を持つ怪童[4]。学生時代はウェイトリフティングとレスリングで活動し[4]、カイロプラクティックのスクールを中退後[1]、1958年にプロレスラーとしてデビュー[3]。人の体を治す立場から一転して壊す立場となり[1]、デラウェア・デストロイヤー(The Delaware Destroyer)の異名を持つ巨漢ヒールとしてカルガリーやトロントなどカナダの主要テリトリーで活動[2]。
カルガリーでは1961年にマイティ・ウルススことジェス・オルテガと抗争を展開[5]。トロントではジョニー・バレンタインと組み、1963年2月28日にブルーノ・サンマルチノ&ホイッパー・ビリー・ワトソンからNWAインターナショナル・タッグ王座を奪取した[6]。1964年には太平洋岸北西部のバンクーバーにて、ジン・キニスキー、ドン・レオ・ジョナサン、エンリケ・トーレス、ベアキャット・ライト、キンジ渋谷などと対戦している[7]。
1960年代中盤よりWWWFに参戦し、1966年11月7日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにて、ブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦[8]。フィラデルフィアやピッツバーグでもサンマルチノに再三挑戦し、エドワード・カーペンティアやボボ・ブラジルとも対戦した[9]。1968年1月にはグレート東郷のブッキングでTBSプロレス時代の国際プロレスに初来日している(同時参加はルー・テーズ、ダニー・ホッジ、ワルドー・フォン・エリック、ハンス・シュミットなど)[10][11]。
以降もアメリカ北東部や五大湖エリアを主戦場に、NWFでは1969年から1970年にかけて、ジョニー・パワーズやアーニー・ラッドと北米ヘビー級王座を巡る抗争を展開[12]。NWFに参戦していたザ・シークとも、トロントやクリーブランドなど各地で流血戦を繰り広げた[13]。WWWFへの出場も続け、1971年には新王者ペドロ・モラレスにも東部各地で挑戦している[14]。
1972年2月にはエース格としてハーリー・レイスらと共に日本プロレスに参戦、2月29日に大田区体育館にてジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑んだ[15]。1970年代前半は南半球にも度々遠征して、オーストラリアではスパイロス・アリオン[16]、ニュージーランドではジョン・ダ・シルバとタイトルを争った[17]。
1975年、エディ・アインホーンとNWFの残党がミル・マスカラスを世界王者としてアメリカ北東部で旗揚げしたIWAに参戦[18]。エースのマスカラスやNWF時代の旧敵ラッドをはじめ、サンダーボルト・パターソン、マイティ・イゴール、ディノ・ブラボーらと抗争した[18]。ビンス・マクマホンの対抗勢力に協力した形となったが、IWAの崩壊後はキャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーにWWWF / WWFに再登場。1979年4月30日のMSG定期戦ではボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦した[19]。
1980年はカルロス・コロンの主宰するプエルトリコのWWCにて、4月14日にルーク・グラハムのパートナーとしてWWC北米タッグ王座を獲得している[20]。WWFには1981年にも登場し、10月4日にイースト・ラザフォードにて、ラリー・シャープと組んでリック・マーテル&トニー・ガレアのWWFタッグ王座に挑戦[21]。その後は1983年10月、デトロイトで行われたNWAアメリカン・タッグ王座(フリッツ・フォン・エリックの主宰するテキサス州ダラス地区のタイトル)争奪トーナメントにてロディ・パイパーとのコンビで優勝したとして、チャンピオン・チームに認定された[22]。
1988年に現役を引退[3]。晩年は糖尿病との闘病を続けていたが、1997年9月15日、股関節手術後の合併症により死去[2]。63歳没。
逸話
編集全盛期の1960年代、ターンバックルのクッションを外し、露出させた金具に相手の頭を打ちつけようとして失敗、自らの後頭部を金具に引っ掛けて負傷[1]。頭蓋骨が見えるほどの重傷を負うも、そのまま試合を続け、数日後には普通にリングに上がったという。
得意技
編集- アバランシュ・ホールド
- エルボー・ドロップ
- パンチ攻撃
- 噛みつき・かきむしり・凶器など反則攻撃全般
獲得タイトル
編集- メープル・リーフ・レスリング
- NWAインターナショナル・タッグ王座(トロント版):5回(w / スウィート・ダディ・シキ、ジョニー・バレンタイン、ドクター・ジェリー・グラハム、ホイッパー・ビリー・ワトソン×2)[6]
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
- NWA豪亜ヘビー級王座:1回[16]
- オールスター・プロレスリング
- WWC北米タッグ王座:1回(w / クレージー・ルーク・グラハム)[20]
- NWAビッグタイム・レスリング
- インターナショナル・レスリング・アソシエーション
- IWA北米ヘビー級王座:1回[23]
脚注
編集- ^ a b c d e 『THE WRESTLER BEST 1000』P178(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d “Dick Brower”. Online World of Wrestling. 2020年6月27日閲覧。
- ^ a b c d e “Bulldog Brower”. Cagematch.net. 2022年2月24日閲覧。
- ^ a b 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P106(1988年、日本スポーツ出版社)
- ^ “The Stampede matches fought by Dick Brower in 1961”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
- ^ a b “NWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
- ^ “The ASW matches fought by Dick Brower in 1964”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1966”. The History of WWE. 2010年7月22日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Dick Brower in 1966”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
- ^ “IWE 1968 Opening World Series & World Tag Team Series”. Puroresu.com. 2020年7月29日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by Dick Brower in 1968”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
- ^ a b “NWF North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
- ^ “The Sheik vs. Bulldog Brower”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Dick Brower in 1971”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
- ^ “JWA 1972 Dynamic Series”. Puroresu.com. 2020年7月29日閲覧。
- ^ a b “NWA Austra-Asian Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
- ^ a b “NWA British Empire/Commonwealth Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ a b “The IWA matches fought by Dick Brower in 1975”. Wrestlingdata.com. 2014年10月15日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1979”. The History of WWE. 2010年7月22日閲覧。
- ^ a b “WWC North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1981”. The History of WWE. 2014年10月15日閲覧。
- ^ a b “NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月22日閲覧。
- ^ “IWA North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月5日閲覧。
外部リンク
編集- Online World of Wrestling
- ブルドッグ・ブラワーのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database