フランシスコ・ザビエル肖像
神戸市立博物館が所蔵する美術作品
フランシスコ・ザビエル肖像(フランシスコ・ザビエルしょうぞう)は、17世紀初頭に描かれたと推測されるフランシスコ・ザビエルの肖像画である。
製作年 | 17世紀初頭 |
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所蔵 | 神戸市立博物館、神戸市 |
1919年に大阪府の民家で発見され、近畿地方の貴重なキリシタン遺物として、2001年に重要文化財に指定された[1]。この頭頂部を刈り取った髪型(トンスラ)の肖像が日本人に大変よく知られている。
歴史
編集1919年2月に教誓寺住職の藤波大超が、清渓村(現 茨木市)千提寺の天満宮がある小高い丘「クルス山」でキリシタン墓碑(上野マリア墓碑)を発見した[2][3]。翌1920年9月、墓碑の存在を教えた東藤嗣の家からこの肖像画などの隠れキリシタンの遺物が発見され、藤波大超と橋川正(両者は親戚)により公表された[2]。それまでは「開けずの櫃」と呼ばれる箱に、他のキリシタンの信仰に関係する品々とともに秘蔵され、他人にその存在を明かさないだけでなく、家人も箱を開くことはタブーとされていた。後に、発見された東家の向いに茨木市立キリシタン遺物史料館が開設された。
作品
編集彼の福者認定(1619年)または列聖(1622年)以降に日本で作成されたと推定される。作者は不明である。落款の壺印(狩野派を示す)と「漁夫」(ペトロを示す)の署名から狩野派の絵師ペトロ狩野(狩野源助)とする説があるが、ペトロ狩野はフランシスコ会士であることから、確証はない。
発見時のモノクロ写真から、保存学者の神庭信幸は、掛け軸だったのが額縁入りに仕立て直されたほか、制作時に使われた真鍮が変色して黒っぽかった頭光が、発見後に黄色に描き足されたと推測している[4]。
脚注
編集- ^ “紙本著色フランシスコ・ザビエル像 - 国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2023年11月2日閲覧。
- ^ a b 『百済観音』イデア書院, 浜田青陵、1926, p528-548
- ^ 茨木市立キリシタン遺物史料館開館25周年記念展示 世界へはばたくキリシタン遺産茨木市、2010年12月
- ^ 【よみがえる実像十選(2)】「聖フランシスコ・ザヴィエル像」日本経済新聞朝刊2017年4月7日文化面
関連項目
編集外部リンク
編集- 聖フランシスコ・ザビエル像(文化庁・文化遺産オンライン)
- キリシタン遺物史料館(茨木市公式ウェブサイト)