フェデリーコ1世 (サルッツォ侯)
フェデリーコ1世(イタリア語:Federico I, 1287年ごろ - 1336年6月29日)は、サルッツォ侯(在位:1330年 - 1336年)。
フェデリーコ1世 Federico I | |
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サルッツォ侯 | |
在位 | 1330/4年 - 1336年 |
出生 |
1287年ごろ |
死去 |
1336年6月29日 |
埋葬 | サルッツォ侯国、サルッツォ |
配偶者 | マルグリット・ド・ラ・トゥール・デュ・パン |
ジャコミーナ・ディ・ビアンドラーテ | |
子女 |
トンマーゾ2世 娘 |
家名 | デル・ヴァスト家 |
父親 | サルッツォ侯マンフレード4世 |
母親 | ベアトリーチェ・ディ・ホーエンシュタウフェン |
生涯
編集フェデリーコ1世は、サルッツォ侯マンフレード4世とシチリア王マンフレーディの娘ベアトリーチェ・ディ・ホーエンシュタウフェンの長男である。
フェデリーコは、異母弟で1323年に父マンフレード4世より長男のフェデリーコを差し置いて継承者に指名され、サルッツォ侯位を継承したマンフレード5世の強力な一派と対立した。内戦と父マンフレード4世の引退の後、1334年12月29日に父マンフレード4世が長男フェデリーコに対し忠誠を誓うよう家臣に命じたことで、フェデリーコは最終的に自らの地位を確立させることができた。しかし、フェデリーコは1336年6月29日に死去し、権力が安定していない中、息子トンマーゾ2世が侯位を継承することとなった。フェデリーコはサルッツォのドミニコ会教会に埋葬された。
結婚と子女
編集1303年にアンベール1世・ド・ヴィエノワとアンヌ・ド・ブルゴーニュの娘マルグリット・ド・ラ・トゥール・デュ・パンと結婚し、以下の子女をもうけた。
- トンマーゾ2世 - サルッツォ侯
- 娘 - ルッフィーア領主ピエトロ・カンビアーノと結婚
1333年6月21日にサン・ジョルジョ領主グリエルモの娘ジャコミーナ・ディ・ビアンドラーテと結婚した。
また、庶子にブロンデッロ領主ジョヴァンニがいる。
参考文献
編集- Muletti, Delfino; Muletti, Carlo (1880) (イタリア語). Memorie storico-diplomatiche appartenenti alla città ed ai marchesi di Saluzzo. Tomme III Livre 9 (1296-1340). Saluzzo: Domenico Lobetti-Bodoni
- Stokvis, Anthony (1890-1893, réédition 1966). Manuel d'histoire, de généalogie et de chronologie de tous les États du globe, depuis les temps les plus reculés jusqu'à nos jours. Volume III, chapitre XII, §.11. Leiden: Brill. pp. 731-732, « Saluces » et tableau généalogique No. 16.
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