ピミアナカス
ピミアナカス(Phimeanakas、ピミエン・アカス寺院[1]、クメール語: ប្រាសាទភិមានអាកាស, Prasat Phimean Akas〈ヴィミヤン・アーカス[2]、Vimeanakas、クメール語: ប្រាសាទវិមានអាកាស, Prasat Vimean Akas〉)は、カンボジアのアンコール遺跡群のうちアンコール・トムの王宮の周壁内にあるクリアン様式のヒンドゥー教寺院であり、「天上の寺院」(英: ‘Celestial Temple’)、「空中の宮殿」(英: ‘Aerial Palace’ [3])とも称される。
ピミアナカス ប្រាសាទភិមានអាកាស Phimeanakas | |
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基本情報 | |
座標 | 北緯13度26分44秒 東経103度51分21秒 / 北緯13.44556度 東経103.85583度座標: 北緯13度26分44秒 東経103度51分21秒 / 北緯13.44556度 東経103.85583度 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
市 | シェムリアップ |
地区 | シェムリアップ郡 |
州 | シェムリアップ州 |
国 | カンボジア |
現況 | 遺跡 |
建設 | |
形式 | クメール建築 |
様式 | クリアン様式 |
創設者 | ラージェンドラヴァルマン2世 |
完成 | 10世紀末-11世紀初頭 |
建築物 | |
横幅 | 35m(東西) |
奥行 | 28m |
資材 | ラテライト・砂岩 |
時代
編集ラージェンドラヴァルマン2世(在位944-968年)統治時代の10世紀末に建造され、次いでスーリヤヴァルマン1世(在位1002-1050年)の統治時代に完成したとされる[2][3]。建造の開始については、10世紀初頭のヤショーヴァルマン1世(在位889-910年)の時代に着手されたとする説もある[2]。
構造
編集ピミアナカスは、5か所の塔門(ゴープラム、gopuram)のある東西600メートル、南北250メートルの周壁に囲まれた王宮の中央に位置し[4]、そこに居住した歴代の王が儀式をおこなうための寺院であった[5]。東西35メートル、南北28メートルのピミアナカスは3層構造であり[4]、須弥山(メル山)を象徴する[5]。ラテライトの基壇において[5]、1層目は水面、2層目は地面、3層目は天空を表現しており、その四面には最上段に至る階段を備える[2]。3層ピラミッド構造のヒンドゥー教寺院の最上段は砂岩の回廊に囲まれるが[5]、これは装飾的な擬似回廊であり[4]、その中心に1基の塔堂(中央祠堂)がある[3]。周達觀が記した『真臘風土記』によれば、塔はかつて金色の尖塔に覆われていた[6]。
伝説
編集伝説によると、王は、塔の中にいるナーガが姿を変えたという女性と夜毎逢瀬を過ごし、その間、女王さえ立ち入ることは許されなかった。二度目の時にだけ、王は女王と宮殿に戻った。もしクメールの最高主であるナーガが夜に姿を現さなければ、王の余命は幾ばくもなく、王が姿を見せなければ、災難が王の土地を襲うであろうとされた[7]。
脚注
編集- ^ 北川香子『カンボジア史再考』連合出版、2006年、84頁。ISBN 4-89772-210-1。
- ^ a b c d フーオッ・タット 著、今川幸雄 訳『アンコール遺跡とカンボジアの歴史』めこん、1995年、66-70頁。ISBN 4-8396-0095-3。
- ^ a b c Rooney, Dawn F. (2011). Angkor: Cambodia's Wondrous Khmer Temples (6th ed.). Odissey. pp. 201-202. ISBN 978-962-217-802-1
- ^ a b c 石澤良昭『アンコール・ワットへの道』JTB〈JTBキャンブックス〉、2000年、101-102頁。ISBN 4-533-03341-5。
- ^ a b c d 波田野直樹『アンコール遺跡を楽しむ』(改訂版)連合出版、2007年、129-130頁。ISBN 978-4-89772-224-5。
- ^ 周達觀 『真臘風土記』「城郭」・「宮室」の条。
- ^ 周達觀 『真臘風土記』「宮室」の条。
参考文献
編集- 周達観 著、和田久徳 訳『真臘風土記』平凡社〈東洋文庫〉、1989年。ISBN 4-582-80507-8。