ヤショーヴァルマン1世
クメール王朝の君主
ヤショーヴァルマン1世(クメール語: ព្រះបាទយសោវរ្ម័នទី១, ラテン文字転写: Yaśovarman I, 生年不詳 - 910年)は、クメール王朝の第4代君主[1][2](在位:889年 - 910年[3])。碑文には名君であり優れた建設者として「獅子の男」と讃えられている[4]。
ヤショーヴァルマン1世 ព្រះបាទយសោវរ្ម័នទី១ | |
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クメール王朝君主 | |
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在位 | 889年 - 910年 |
別号 |
វ្រះបាទ បរមឝិវលោក(諡号) パラマシヴァーローカ |
出生 |
不詳 |
死去 |
910年 |
配偶者 | ジャヤーヴァルマン4世の姉妹 |
子女 |
ハルシャヴァルマン1世 イシャーナヴァルマン2世 |
王朝 | アンコール朝 |
父親 | インドラヴァルマン1世 |
母親 | インドラデーヴィー1世 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
生涯
編集インドラヴァルマン1世とインドラデーヴィー1世の子。父王死後の889年[5]、ロリュオス川流域にあったハリハラーラヤで即位[2]し、父インドラヴァルマン1世が築いたことから「インドラタターカ」と呼ばれたバライ[3]の中央にロレイを建築し、両親や祖父母を祀った[2]。
また、兄弟との王位継承争いの際にハリハラーラヤの王宮が破壊されたため、後にアンコール・トムが建設されるシュムリアップ川流域一帯に、第1次アンコール王都とされる新都を建設し、そこに遷都したことで知られる[1][2]。この新都はヤショヴァルマン1世の名をとってヤショーダラプラと呼ばれた[1]。
900年頃には、旧都ハリハラーラヤのバライであるインドラタターカの北東端から、ヤショーダラプラへと繋がる道路を整備させた[2]。さらに、ヤショーダラプラの東に大規模な貯水池として「ヤショダラタターカ」と呼ばれた東バライを築いた[2]。
ヒンドゥー教徒で、プノン・バケン寺院など国内各地に精舎とも同一視されるヒンドゥー教寺院を建設したことでも知られる[1][2]。910年、ハンセン病により死去した。王位は子のハルシャヴァルマン1世が継いだ[6]。
脚注
編集- ^ a b c d 京大東洋史事典編纂会 編『新編東洋史事典』(第9版)東京創元社、1990年4月、843頁。
- ^ a b c d e f g 石澤良昭『アンコール・ワット』講談社〈講談社現代新書〉、1996年、50-57頁。ISBN 4-06-149295-0。
- ^ a b Rooney (2011) p. 36
- ^ Chandler, David (1992). A History of Cambodia. Boulder: Westview Press. p. 40
- ^ Higham, Charles (2001). The Civilization of Angkor. Berkeley: University of California Press. pp. 63 ff
- ^ Rooney (2011) p. 467
参考文献
編集- Rooney, Dawn F. (2011). Angkor: Cambodia's Wondrous Khmer Temples (6th ed.). Odissey. ISBN 978-962-217-802-1