パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ
パウリーニョことパウロ・アントニオ・デ・オリベイラ (ポルトガル語: Paulo Antônio De Oliveira、1982年7月16日 - )は、ブラジル・マットグロッソ州出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
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名前 | ||||||
本名 |
パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ Paulo Antônio De Oliveira | |||||
愛称 | パウちゃん | |||||
ラテン文字 | Paulinho | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1982年7月16日(42歳) | |||||
出身地 | クイアバー市 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 62kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (ST, WG) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2004 | アトレチコ-MG | 56 | (11) | |||
2004 | → アル・アハリ (loan) | 0 | (0) | |||
2004 | → ドラドス (loan) | 13 | (4) | |||
2005-2009 | 京都サンガF.C. | 127 | (66) | |||
2009 | スポルチ・レシフェ | 4 | (1) | |||
2010-2011 | ヴァンフォーレ甲府 | 61 | (24) | |||
2012-2013 | ガンバ大阪 | 40 | (14) | |||
2015 | トゥピFC | 0 | (0) | |||
2015-2016 | 大分トリニータ | 2 | (1) | |||
通算 | 303 | (121) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集ボリビアと国境を接するブラジル中西部マット・グロッソ州の出身。18歳の頃にミナスジェライス州のアトレチコ・ミネイロでプロデビュー。2004年にはサウジアラビアのアル・アハリに、次いでメキシコのドラドス・デ・シナロアにレンタル移籍する。この年、U-23ブラジル代表に選出されるも、最終的にアテネ五輪のメンバーには選ばれなかった。
2005年にJ2の京都パープルサンガに完全移籍で加入し、エースとしてJ1昇格に大きく貢献。リーグ戦22得点を挙げ、J2得点王に輝いた。2006年は、初めてのJ1で得点ランク11位の14得点を記録。2007年には外国籍選手ながら京都の副キャプテンに指名され、J2に降格したチームを再びJ1に昇格させることに尽力する。個人としてもリーグ戦24得点(得点ランク3位)の活躍をみせた。
2008年、開幕早々の4月にアキレス腱断裂の重傷を負い、年内復帰が難しいことから6月に選手登録を抹消される。10月15日に再来日し、練習を再開する。
2009年は再び選手登録され、復活が期待されたが、起用法に悩まされ徐々に出場機会を失っていった。そして9月2日、スポルチ・レシフェへ1年契約で完全移籍した[1]。パウリーニョ獲得はJリーグで指揮を執った元大分トリニータ監督のシャムスカたっての希望といわれる[2][3]。しかし、スポルチでも出場機会に恵まれず、ブラジル全国選手権セリエAでは4試合出場で1得点に終わり、シャムスカの辞任したチームは結局セリエBに降格した。12月31日、契約満了でスポルチ・レシフェを退団。
2010年、J2のヴァンフォーレ甲府へ完全移籍した[4]。J2得点王に輝いたハーフナー・マイクと共に甲府の攻撃を牽引し、自身も14得点(得点ランク5位)を挙げて、J1昇格に貢献した。2011年もJ1で5シーズンぶりとなる2桁得点を挙げたが、クラブは16位の成績で1年でJ2へ降格した。
2012年、ガンバ大阪に完全移籍で加入した[5][6]。G大阪では主にスーパーサブとして起用され、チーム3位の8得点を記録したがチームは17位に終わりJ2へ降格した。2013年は序盤こそスタメンで起用される機会は多かったものの、中盤以降は怪我に悩まされ、最終的に出場数はリーグ戦半数以下に留まった。シーズン終了後、契約満了に伴いG大阪を退団[7]。
2015年1月、トゥピFCに1年のブランクを経て入団。2002年に同じミナスジェライス州を本拠とする、アトレチコ-MGの新星としてキャリアが始まった事を紹介される[8]。 2ヶ月の練習参加を経て練習試合でも得点を取りアピールに成功。9月16日大分トリニータと契約を交わした[9]。第42節・ジュビロ磐田戦で一時同点となるゴールをミドルシュートで決めるなど活躍も見せたが、大分のJ3降格を阻止することはできなかった。翌2016年も大分に残留したが、公式戦出場は天皇杯での1試合のみとなり同年限りで大分を退団。
人物・エピソード
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | アトレチコ-MG | セリエA | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
2002 | 11 | 19 | 5 | 19 | 5 | ||||||
2003 | 30 | 6 | 30 | 6 | |||||||
2004 | 7 | 0 | 7 | 0 | |||||||
サウジアラビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | アル・アハリ | サウジ・プロ | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
メキシコ | リーグ戦 | コパMX | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | ドラドス | 17 | 1部 | 13 | 4 | 13 | 4 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 京都 | 10 | J2 | 32 | 22 | - | 0 | 0 | 32 | 22 | |
2006 | J1 | 31 | 14 | 6 | 1 | 1 | 1 | 38 | 16 | ||
2007 | J2 | 43 | 24 | - | 0 | 0 | 43 | 24 | |||
2008 | J1 | 4 | 1 | 1 | 0 | - | 4 | 1 | |||
2009 | 20 | 17 | 5 | 4 | 0 | - | 21 | 5 | |||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | スポルチ | 43 | セリエA | 4 | 1 | 4 | 1 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 甲府 | 15 | J2 | 33 | 14 | - | 1 | 0 | 34 | 14 | |
2011 | 10 | J1 | 28 | 10 | 2 | 0 | 1 | 1 | 31 | 11 | |
2012 | G大阪 | 11 | 21 | 8 | 1 | 0 | 2 | 0 | 24 | 8 | |
2013 | J2 | 19 | 6 | - | 0 | 0 | 19 | 6 | |||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | トゥピ | 32 | セリエC | 0 | 0 | ||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 大分 | 43 | J2 | 2 | 1 | - | 0 | 0 | 2 | 1 | |
2016 | 11 | J3 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
通算 | ブラジル | セリエA | 60 | 12 | 60 | 12 | |||||
サウジアラビア | プレミア | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
メキシコ | 1部 | 13 | 4 | 13 | 4 | ||||||
日本 | J1 | 101 | 38 | 14 | 1 | 4 | 2 | 119 | 42 | ||
日本 | J2 | 129 | 67 | - | 1 | 0 | 130 | 67 | |||
日本 | J3 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
総通算 | 303 | 121 | 14 | 1 | 6 | 2 | 323 | 124 |
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2012 | G大阪 | 11 | 3 | 0 | - | |
通算 | AFC | 3 | 0 | 0 | 0 |
その他の公式戦
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2015年
- J2・J3入れ替え戦 2試合0得点
出場歴
編集- Jリーグ初出場・初得点 - 2005年3月5日 J2第1節 水戸ホーリーホック戦(笠松運動公園陸上競技場)
タイトル
編集クラブ
編集- 京都パープルサンガ
- ガンバ大阪
- J2リーグ:1回(2013年)
- 大分トリニータ
個人
編集- J2リーグ得点王:1回 (2005年)
代表歴
編集- 2004年 - U-23ブラジル代表
脚注
編集- ^ パウリーニョ選手 スポルチ・レシフェ(ブラジル)へ移籍のお知らせ
- ^ 京都新聞2009年9月2日
- ^ Chamusca tem uma dúvida para duelo contra Galo Gazeta Esportiva (ポルトガル語) 2009年8月29日閲覧
- ^ パウリーニョ選手 加入内定のお知らせ VENTFORET KOFU - Official Web site 2010年1月15日閲覧
- ^ パウリーニョ選手 ガンバ大阪へ移籍のお知らせ VENTFORET KOFU - Official Web site、2011年12月28日
- ^ FWパウリーニョ選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年12月28日
- ^ パウリーニョ選手 契約満了のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年11月18日
- ^ Paulinho reconhece emoção em reencontrar o Atlético hojeemdia.com、 2015年1月27日
- ^ 『パウリーニョ選手 加入のお知らせNEW』(プレスリリース)大分トリニータ、2015年9月16日 。2015年9月16日閲覧。
- ^ Oka's Room(2007/02/09付) MinobeNaohiko.com
- ^ 京都からロビーニョへエール/ビバW杯 日刊スポーツ、2006年6月20日
関連項目
編集外部リンク
編集- パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ - Soccerway.com
- パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ - FootballDatabase.eu
- パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ - WorldFootball.net
- パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ - Transfermarkt.comによる選手データ
- パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ - J.League Data Siteによる選手データ
- Paulinho - Paulo Antônio de Oliveira :: zerozero.pt
- - Paulinho reconhece emoção em reencontrar o Atlético