ニコラウス・クニュプファー
ニコラウス・クニュプファー(Nicolaus Knüpfer、1609年頃 -1655年10月15日[1])はドイツ生まれで、主にオランダのユトレヒトで活動した画家である。歴史画や風俗画を描いた。
ニコラウス・クニュプファー Nicolaus Knüpfer | |
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Pieter de Jode IIによる肖像画 | |
生誕 |
1609年頃 ライプツィヒ |
死没 |
1655年10月15日 ユトレヒト |
略歴
編集ライプツィヒで生まれた。17世紀末に画家たちの伝記を残したアルノルト・ホウブラーケンによればエマニュエル・ナイセン(Emanuel Nysen)という画家の弟子であったとされる[2]。マクデブルクに移り、1630年まで画家の助手をした後、ユトレヒトに移り、アブラハム・ブルーマールトの工房に入り、2年間働いた。
自らの工房を開き、1637年にユトレヒトの聖ルカ組合に入会した。デンマークのクロンボー城の装飾画を描くメンバーにも加わり、ヤン・ボトやヤン・バプティスト・ウェーニクス(1621-1659)といった風景画家の作品に人物を描いた。
多くの弟子を教え、その中にはヤン・ステーンやハブリエル・メツー、アリ・デ・フォイスや、ピーテル・クラインス・フォルマライン(Pieter Crijnse Volmarijn)といった画家がいる[3]。
聖書や、文学、神話を題材にした作品や、当時オランダで人気のあった風俗画を描いた。
作品
編集-
"Die Entführung des Glücks" (1651)
シュヴェリーン州立美術館 蔵 -
売春宿の情景-戯曲"he marriage of Messaline and Gaius Silius"の場面
アムステルダム国立美術館蔵 -
バッカスとクレスとしての2人の子供
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ワインセラー
ユトレヒト中央博物館蔵
脚注
編集- ^ Otto Benesch (1979). From an Art Historian's Workshop. Gilhofer & Ranschburg. p. 3
- ^ Nicolaes Knufter biography in De groote schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen (1718) by Arnold Houbraken, courtesy of the Digital library for Dutch literature
- ^ Nicolaes Knüpfer in the RKD
参考文献
編集- Cornelis De Bie, Het gulden cabinet van de edel vry schilderconst, Antwerpen 1662, pp. 115–116 (engraved portrait p. 115, Knupfer pinx., Pieter de Jode II sculpt.)
- Filippo Baldinucci's Artists in biographies by Filippo Baldinucci, 1610–1670, p. 197