アリ・デ・フォイス(Ary de Vois、1632年から1635年の間の生まれ、1680年7月に没[1])は、オランダ黄金時代の画家である。ライデンで働き人物画、風俗画などを描いた[2]

アリ・デ・フォイス
Ary de Vois
自画像
生誕 1632年から1635年の間
ライデン
死没 1680年7月
ライデン
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略歴

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ライデンで生まれた。父親のアレウェイン・デ・フォイス(Alewijn de Vois: ?-1667)はユトレヒト生まれでライデンのピーテルス教会(Pieterskerk)のオルガン奏者を務めた人物で、弟のピーテル・デ・フォイス(Pieter Alewijnsz. de Vois II: 1647 - 1679)もオルガン奏者になった。

ユトレヒトに移りニコラウス・クニュプファー(c.1609-1655)の弟子になった。同時期のクニュプファーの弟子にはヤン・ステーン(1626-1679)がいる。その後ライデンに戻り、ライデンに1648年から住んでいたアブラハム・ファン・デン・テンペル(Abraham van den Tempel: c.1622-1672)の弟子になった。1653年にライデンの聖ルカ組合に入会し、1677年まで会費を払い、1662年から役員を務め、1664年と1667年の2回、組合長に選ばれた。

1656年に結婚した。18世紀初めに画家の伝記を出版したアルノルト・ホウブラーケン(1660-1719)によれば、結婚後、特にライデン近くのワルモントWarmond に暮らしていた時期は釣りばかりして、絵をあまり書かなくなったが、その後ライデンに戻ってから多くの作品を描いたとされる[3]

ライデンで没した。

作品

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参考文献

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  1. ^ Vois, Ary de at the RKD databases
  2. ^ Bénédicte Bonnet Saint-Georges, Récentes acquisitions du Toledo Museum of Art (1) : XVIIe siècle, La tribune de l'art (27 mars 2020).
  3. ^ Ary de Vois biography in De groote schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen (1718) by Arnold Houbraken, courtesy of the Digital library for Dutch literature