ドーン・アダムズ
ドーン・アダムズ[1][2][注釈 1](Dawn Addams, 1930年9月21日 - 1985年5月7日)はイギリスの女優。1950年代にはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の作品を中心に映画女優としてハリウッドで、1960年代から1970年代にかけてはイギリスのテレビ界で活躍した。チャールズ・チャップリンの1957年の作品『ニューヨークの王様』ではヒロインを務め、スペンサー・トレイシーやデヴィッド・ニーヴンといった名優とも共演を重ねた。
ドーン・アダムズ Dawn Addams | |
---|---|
アラン・ヤングと(1953年) | |
本名 | Victoria Dawn Addams |
生年月日 | 1930年9月21日 |
没年月日 | 1985年5月7日(54歳没) |
出生地 | イングランド サフォーク州フェリックストウ |
死没地 | イングランド ロンドン |
国籍 | イギリス |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画、テレビ |
活動期間 | 1951年 - 1983年 |
活動内容 |
1949年:舞台デビュー 1951年:MGMと契約 1957年:『ニューヨークの王様』 1985年:死去 |
配偶者 |
ロッカセッカ公ドン・ヴィットリオ・エマヌエーレ・マッシモ (1954 - 1971) ジミー・ホワイト (1974 - ?) |
主な作品 | |
『月蒼くして』 『聖衣』 『ニューヨークの王様』 『潜航電撃隊』 |
生涯
編集1930年9月21日、サフォークのフェリックストウに生まれる[3]。生後間もなく一家はイギリス領インド帝国のカルカッタに移るが、カルカッタに移ってのち母が亡くなり、以降は母方の祖父母に育てられることとなった[3]。ドーンは5歳になってからイギリスに戻る[2]。妻に先立たれた父親は1942年10月にモンテシートで女優のアーリーン・ジャッジと再婚するが、その生活も1945年7月で終わる[3]。ドーンは物心ついてから父親に女優になることを打ち明けたあと、王立演劇学校に進んで女優の道を歩み始めることとなり、1949年に初舞台を踏む[2]。舞台デビュー翌年の1950年、若年ながら小劇団を率いて巡業していたドーンはMGMにスカウトされ、1951年のレイ・ミランド主演の映画『夜から朝まで』のドッティ・フェルプス役で銀幕にデビューした[2][4][注釈 2]。MGMでのドーンは『雨に唄えば』(1952年)のテレーザ、『月蒼くして』(1953年)のシンシア・スレーターおよび『聖衣』(1953年)のユニアといった役柄で出演する[2][4][5]。私生活の面では1954年にロッカセッカ公ドン・ヴィットリオ・エマヌエーレ・マッシモと結婚し[4][5]、ローマに移り住んでいた[2]。翌1955年1月10日には長男ステファノ・マッシモを出産する[5]。
この間、ドーンはチャップリンの『ライムライト』のヒロインであるテリー役のオーディションを受ける[6]。テリー役にはクレア・ブルームが選ばれてドーンはその座を逃したが、その存在はチャップリンの記憶の中に残っていた。チャップリンは1954年に、のちに『ニューヨークの王様』として結実する、祖国を追放されニューヨークに滞在する国王を題材とした作品の製作を発表し、ヒロインである若い女性広告エージェントであるアン・ケイ役の人選に取りかかった[1][6]。当初、この役にはヴォードヴィル芸人の孫でもあったケイ・ケンドールの起用が考えられ、チャップリンの妻のウーナや片腕のジェリー・エプスタインがその考えに同調していた[1][6]。ところが、ケイの出演作の一つである『ジュヌヴィエーヴ』を見たチャップリンは気が変わり、ケイの起用はなくなった[1]。代わってチャップリンがヒロイン役として目星をつけたのがドーンであった。チャップリンはドーンに電話で直接出演交渉し、さらにドーンがコルシェ・スール・ヴヴェイのマノワール・ド・バン[注釈 3]を訪問して、正式にヒロインとして選ばれることとなった[2]。完成した『ニューヨークの王様』は、チャップリン自身がその犠牲となったマッカーシズムを皮肉り、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどといった若い世代の映像作家に多大な影響を与えた[7]。ドーンも、金に窮する国王をコマーシャルや整形手術などに誘う広告エージェントの役を好演した。イギリス映画である『ニューヨークの王様』はさておいて、この時期のドーンの出演作は前述のMGM時代の作品も含め、ハリウッドのモラルから多少逸脱するものが多かったが、ニューヨークを中心に一定以上の支持を集めた[4]。
1960年代以降のドーンは『怪人マブゼ博士』(1960年)のヒロインなど定期的な映画出演の傍らでテレビドラマにも進出。私生活でも1966年3月に次男ノエル・ショーン・パトリック・アダムズを出産するが、ノエルは生後半年で気管支炎により亡くなってしまった[3][5]。1971年4月23日にはロンドンでマッシモと離婚する[3]。2年後の1973年、長男ステファノが映画プロデューサーのアイヴァン・フォックスェルの娘と婚約し、ドーンはこの婚姻に賛成の意を示した[3]。その翌年の1974年、ドーンはジミー・ホワイトと再婚した[3][4][5]。1980年代に入ってからは癌を患い、代替医療のためにフロリダに行ったりした[3]。1985年3月から4月にかけてはアメリカ滞在中に3週間ほど昏睡状態に陥り、意識が回復したのちロンドンに戻った[3][4]。それから間もない1985年5月7日、ドーン・アダムズはロンドンの病院で54年の生涯を終えた。
主な出演作品
編集インターネット・ムービー・データベースのデータによる。
映画
編集公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1951 | 夜から朝まで Night Into Morning |
ドティ・フェルプス | |
1952 | 雨に唄えば Singin' in the Rain |
テレサ | クレジットなし |
1953 | 悲恋の王女エリザベス Young Bess |
ケイト・ハワード | |
月蒼くして The Moon Is Blue |
シンシア・スレイター | ||
聖衣 The Robe |
ジュリア | ||
1954 | 宇宙への挑戦 Riders to the Stars |
スーザン・マナーズ | |
寝台の秘密 Secrets d'alcôve |
ジャネット | ||
1955 | 海底の争奪 Il tesoro di Rommel |
ソフィア | |
1956 | 第五戦線・遠い道 Londra chiama Polo Nord |
メアリー | |
1957 | チャップリンのニューヨークの王様 A King in New York |
アン・ケイ | |
1958 | 潜航電撃隊 The Silent Enemy |
ジル・マスターズ | |
狂った本能 L'île du bout du monde |
ヴィクトリア | ||
1959 | 逆襲の河 I battellieri del Volga |
イリーナ・タチアナ | |
気分を出してもう一度 Voulez-vous danser avec moi? |
アニタ・フロレス | ||
1960 | 怪人マブゼ博士 Die 1000 Augen des Dr. Mabuse |
マリオン・メニル | |
ジキル博士の二つの顔 The Two Faces of Dr. Jekyll |
キティ | ||
激しい夜 Les menteurs |
ノーマ・オブライエン | ||
1961 | 恋のラストチャンス Follow That Man |
ジャネット・クラーク | |
1963 | 翼のリズム Come Fly with Me |
ケイティ・リナード | |
1964 | 黒いチューリップ La Tulipe noire |
Catherine de Vigogne | |
星空 Ballad in Blue |
ジーナ・グラハム | ||
1966 | 続・殺しのライセンス Where the Bullets Fly |
フェリシティ・ムーンライト | |
1970 | バンパイア・ラヴァーズ The Vampire Lovers |
伯爵夫人 | |
1971 | 哀愁のパリ Sapho ou La fureur d'aimer |
マリアン | |
1973 | 墓場にて/魔界への招待・そこは地獄の始発駅 The Vault of Horro |
Inez |
テレビ
編集- The Alan Young Show (1953)
- Sherlock Holmes (1955)
- The Edgar Wallace Mystery Theatre (1955)
- The Saint (1963 - 66)
- Armchair Theatre (1970 - 71)
- Father Dear Father (1971 - 73)
- Star Maidens (1976)
- Triangle (1983)
脚注
編集注釈
編集- ^ 「ドーン・アダムス」と濁らない資料もある(#大野 (2005) p.179)
- ^ 『夜から朝まで』での共演者の中には、のちのファーストレディであるナンシー・デイヴィスがいた(#Imdb)。
- ^ 1953年1月以降のチャップリン邸(#ロビンソン (下) p.299)
出典
編集参考文献
編集サイト
編集- “DAWN ADDAMS, 54, ACTRESS IS DEAD” (英語). New York Times. New York Times / Walter Waggoner. 2013年11月6日閲覧。
- “Dawn Addams Profile” (英語). Glamour Girls of the Silver Screen. Glamour Girls of the Silver Screen. 2013年11月6日閲覧。
- Dawn Addams - IMDb
- "ドーン・アダムズ". Find a Grave. 2013年11月6日閲覧。
印刷物
編集- 野口久光「「ニューヨークの王様」とチャップリン映画のみどころ」『チャップリンのニューヨークの王様』東急文化会館配給部(編)、東急文化会館配給部、1957年。
- デイヴィッド・ロビンソン『チャップリン』 下、宮本高晴、高田恵子(訳)、文藝春秋、1993年。ISBN 4-16-347440-4。
- 大野裕之『チャップリン再入門』日本放送出版協会、2005年。ISBN 4-14-088141-0。