トマス・セシル (初代エクセター伯爵)
初代エクセター伯爵トマス・セシル(英: Thomas Cecil, 1st Earl of Exeter, KG、1542年5月5日 - 1623年2月8日)は、イングランドの貴族、政治家。
初代エクセター伯爵トマス・セシル Thomas Cecil, 1st Earl of Exeter | |
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エクセター伯爵の肖像画 (ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵) | |
生年月日 | 1542年3月5日 |
没年月日 | 1623年2月8日 (満80歳没) |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
称号 | 初代エクセター伯爵、ガーター勲章勲章士(KG) |
親族 |
初代バーリー男爵(父) 初代ソールズベリー伯爵(弟) 第2代エクセター伯爵(次男) リチャード・セシル(三男) 初代ウィンブルドン子爵(四男) |
庶民院議員 | |
選挙区 |
スタンフォード選挙区 リンカンシャー選挙区 ノーザンプトンシャー選挙区 |
在任期間 |
1563年 - 1567年、1571年、1572年 - 1583年 1584年 - 1587年 1592年 - 1593年 |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1598年8月4日 - 1623年2月8日 |
経歴
編集1542年3月5日、エリザベス1世の国王秘書長官ウィリアム・セシル(後のバーリー男爵)とその先妻メアリーの長男として誕生[1]。初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルは異母弟にあたる。
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進学し、ついでグレイ法曹院で学ぶ[2]。フランスに留学したが、女遊びばかりでろくに勉強しなかったという。そのため父はトマスよりロバートを引き立てようとした[3]。
1563年から1567年、1571年、1572年から1583年にかけてスタンフォード選挙区から選出されて庶民院議員を務める。ついで1584年から1587年にかけてはリンカンシャー選挙区、1592年から1593年まではノーザンプトンシャー選挙区から選出されて庶民院議員を務める[1]。
1575年にナイトに叙される。1598年に死去した父より第2代バーリー男爵位を継承し、1605年にはエクセター伯爵に叙された[1][2]。
1599年から1603年まで北部法廷議長とヨークシャー知事を務めた[1]。
1623年2月7日に死去。ウェストミンスター寺院に葬られた[2]。
人物
編集優秀な弟ロバートの存在のために父から期待されることなく、日蔭の人生を生きることになった。しかしトマスは父の弟贔屓を恨むことは決してなかった。トマス自身、弟の方が自分よりはるかに頭が良いと認めていた。弟に対しても何の不満も抱いておらず、弟が必要とすればいつでも弟を支持した[4]。
『英国人名辞典』のトマスの記事では、凡庸な人物であり親が異なっていたら何も記録に残らなかったであろうと評されている[5]。
栄典
編集爵位
編集勲章
編集家族
編集1564年に第4代ラティマー男爵ジョン・ネヴィル(キャサリン・パーの2度目の結婚時の継子にあたる)の娘ドロシーと結婚し、彼女との間に5男8女を儲けた。男子には次男の第2代エクセター伯爵ウィリアム・セシル、三男のサー・リチャード・セシル、四男の初代ウィンブルドン子爵エドワード・セシルなどがいる。女子には長女ルーシー(第4代ウィンチェスター侯爵夫人)、四女メアリー(初代ノリッチ伯爵夫人)、五女エリザベス(エドワード・コーク夫人)、六女フランセス(初代サネット伯爵夫人)などがいる[1]。
- ウィリアム(1566年 - 1640年) - 第2代エクセター伯爵
- ルーシー(? - 1614年) - 第4代ウィンチェスター侯爵ウィリアム・ポーレットと結婚
- ミルドレッド(? - 1611年) - サー・トマス・リードと結婚、エドマンド・トラフォードと再婚
- リチャード(1570年 - 1633年) - 庶民院議員
- エドワード(1572年 - 1638年) - 初代ウィンブルドン子爵
- メアリー(? - 1638年) - 初代ノリッチ伯爵エドワード・デニーと結婚
- ドロシー(1577年 - 1613年) - サー・ジャイルズ・アリントンと結婚
- エリザベス(1578年 - 1646年) - エドワード・コークと結婚
- トマス(? - ?) - エスクワイア
- フランセス(1580年/1581年 - 1653年) - 初代サネット伯爵ニコラス・タフトンと結婚
1610年に第4代シャンドス男爵ウィリアム・ブリッジスの娘フランセスと再婚し、彼女との間にも一女を儲けた[1]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. “Thomas Cecil, 1st Earl of Exeter” (英語). thepeerage.com. 2014年5月1日閲覧。
- ^ a b c d "Cecil, Thomas (CCL558T)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ 石井(2009) p.486
- ^ ヒバート(1998)下巻 p.205
- ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 404–405.
参考文献
編集- 石井美樹子『エリザベス 華麗なる孤独』中央公論新社、2009年。ISBN 978-4120040290。
- クリストファー・ヒバート 著、山本史郎 訳『女王エリザベス〈下〉大国への道』原書房、1998年。ISBN 978-4562031474。
外部リンク
編集- "トマス・セシルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
- Thomas Cecil, 1st Earl of Exeter (1542-1623) - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- Thomas "Earl of Exeter" Cecil - Find a Grave
公職 | ||
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先代 初代バーリー男爵 |
リンカンシャー首席治安判事 1594年以前 - 1608年以後 |
次代 バーリー男爵 |
先代 ケネルム・ディグビー |
ラトランド首席治安判事 1594年以前 - 1623年 |
次代 初代バッキンガム侯爵 |
先代 第3代ハンティンドン伯爵 (最後の在任者) |
ヨークシャー知事 1599年 - 1603年 |
次代 初代マルグレイブ伯爵 |
先代 サー・クリストファー・ハットン (最後の在任者) |
ノーザンプトンシャー知事 1603年 - 1623年 |
次代 第2代エクセター伯爵 |
議会 | ||
先代 ウィリアム・コーク ジョン・ホートン |
スタンフォード選挙区選出庶民院議員 1563年 - 1567年、1571年、1572年 - 1583年 同一選挙区同時当選者 フランシス・ソーネフ(1563) マイケル・レヴィス(1571) フランシス・ハリントン(1572) |
次代 ロバート・ウィングフィールド ジョージ・リン |
先代 トマス・ヘニッジ トマス・セント・ポール |
リンカンシャー選挙区選出庶民院議員 1584年 - 1587年 同一選挙区同時当選者 サー・エドワード・ディモク |
次代 サー・エドワード・ディモク ジョージ・セント・ポール |
先代 サー・ウォルター・マイルドメイ サー・リチャード・ナイトレイ |
ノーザンプトンシャー選挙区選出庶民院議員 1593年、1597年 - 1598年 同一選挙区同時当選者 クリストファー・イェルバートン(1593) サー・リチャード・ナイトレイ(1597) |
次代 サー・ジョン・スタンホープ サー・ウィリアム・レーン |
イングランドの爵位 | ||
爵位創設 | 初代エクセター伯爵 1605年 - 1623年 |
次代 ウィリアム・セシル |
先代 ウィリアム・セシル |
第2代バーリー男爵 1598年 - 1623年 |