トゥーリー
トゥーリー (Two Lea) は、アメリカ合衆国で生産・調教されたサラブレッドの競走馬、および繁殖牝馬。競走馬としてはおもに3歳時と6歳時に活躍し、繁殖入り後には名馬ティムタムなどの母となった。1982年にアメリカ競馬殿堂入りしている。
トゥーリー | |
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欧字表記 | Two Lea |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1946年 |
死没 | 1973年(27歳没) |
父 | Bull Lea |
母 | Two Bob |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 | Calumet Farm |
馬主 | Calumet Farm |
調教師 | Horace A. Jones |
競走成績 | |
タイトル |
最優秀3歳牝馬(1949年) 最優秀古牝馬(1950年) アメリカ競馬殿堂 |
生涯成績 | 26戦15勝[1] |
獲得賞金 | 309,250ドル[1] |
経歴
編集1946年にカルメットファームで生まれた馬である。父は名種牡馬ブルリー、母は1936年のケンタッキーオークスの勝ち馬トゥーボブという良血の生まれであった。カルメットファームからはブルリー産駒の活躍馬が多数出ており、後にトゥーリーもそのうちの1頭となった。
競走馬デビューは2歳となった1948年。この頃、トゥーリーの脚には蹄の近くの骨に大きな腫瘍ができており、これのせいで調教が思うように行かず、デビュー戦を迎えることが出来たのは8月になってからであった。初戦となったワシントンパーク競馬場の未勝利戦は3着、続いて出走したベルモントパーク競馬場でも3着と、平凡なスタートであった。3戦目の未勝利戦を4馬身差をつけて勝ち、この年の競走を終えた。
3歳シーズン、トゥーリーは4月の一般戦から始動し、ステークス競走を含む7戦で6勝という好成績を残した。クレオパトラハンデキャップでは同年のケンタッキーオークス勝ち馬のウィストフルに勝ち、アートフルステークスでは1947年の全米最優秀3歳牝馬バットホワイノットをコースレコードで破るなど、その内容も濃いものであった。この年、トゥーリーはウィストフルとともに最優秀3歳牝馬に選出された。
1950年、4歳になったトゥーリーは牡馬との対戦も積極的に行っていた。サンタアニタマーチュリティでは前年のケンタッキーダービー馬のポンダーと対戦して2着、サンタアニタハンデキャップでは三冠馬サイテーションとイギリスからの移籍馬ヌーアを相手に3着に健闘するが、結局このシーズンは牡馬の強豪を相手に勝ちを挙げることはできなかった。しかし5戦して2勝、アーカディアハンデキャップやサンタマルガリータハンデキャップでの勝ち星が評価され、同年の最優秀古牝馬に選ばれた。
この後、トゥーリーはデビュー前から患っていた脚部不安が再発したことにより、5歳シーズンを全休する22ヶ月もの休養期間に入った。再度の出走は、6歳になった1952年の5月からであった。復帰初戦の一般戦を5着、次走で2年4ヶ月ぶりの勝利を得た。この後のトゥーリーは充実した成績を残し、ヴァニティハンデキャップでは再びウィストフルを破り、ハリウッドゴールドカップでは牡馬を相手にしながら優勝している。
同年10月のベイメドウズハンデキャップ2着を最後に引退、繁殖入りした。
引退後
編集故郷のカルメットファームで繁殖入りして8頭の競走馬を産み、そのうち3頭がステークス競走勝ちを収めている。その産駒のうち、ティムタム(父トムフール)は1958年のアメリカ二冠馬になるなど際立った活躍を見せ、後にトムフール・トゥーリーと共に親子での殿堂入りを果たしている。
また、ブルックリンハンデキャップなどに勝ったオンアンドオン(父ナスルーラ)は種牡馬としても活躍し、1968年のアメリカ二冠馬フォワードパスや、アリダーなどG1馬3頭の母となった名牝スウィートトゥースなどの父となった。
日本にはティムタムの全妹モンアンジュの子孫スイートフランスがシンボリ牧場に輸入されており、代を経てセイウンスカイがクラシック制覇を達成している。
1973年、トゥーリーは27歳で死亡した。その遺骸はカルメットファームに埋葬されている。1982年トゥーリーはアメリカ競馬名誉の殿堂博物館によって、殿堂馬の一頭として選定された。
評価
編集主な勝鞍
編集- 1948年(2歳) 3戦1勝
- 1949年(3歳) 7戦6勝
- プリンセスドリーンステークス、クレオパトラハンデキャップ、アートフルステークス
- 2着 - モデスティステークス
- 1950年(4歳) 5戦2勝
- サンタマルガリータハンデキャップ、アーカディアハンデキャップ
- 2着 - サンタアニタマーチュリティ、ミレイディハンデキャップ
- 1952年(6歳) 11戦6勝
- ヴァニティハンデキャップ、ハリウッドゴールドカップ、ラモナハンデキャップ、チルドレンズホスピタルハンデキャップ、サンマテオハンデキャップ
- 2着 - ベイメドウズハンデキャップ
年度代表馬
編集表彰
編集- 1982年 - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選定される。
- 1999年 - ブラッド・ホース誌の選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選において、第77位に選ばれる。
血統表
編集トゥーリーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | テディ系 |
[§ 2] | ||
父 Bull Lea 1935 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Bull Dog1927 黒鹿毛 フランス |
Teddy | Ajax | |
Rondeau | ||||
Plucky Liege | Spearmint | |||
Concertina | ||||
父の母 Rose Leaves1916 黒鹿毛 アメリカ |
Ballot | Voter | ||
Cerito | ||||
Colonial | Trenton | |||
Thankful Blossom | ||||
母 Two Bob 1933 栗毛 アメリカ |
The Porter 1915 鹿毛 アメリカ |
Sweep | Ben Brush | |
Pink Domino | ||||
Ballet Girl | St. Leonards | |||
Cerito | ||||
母の母 Blessings1925 鹿毛 アメリカ |
Chicle | Spearmint | ||
Lady Hamburg | ||||
Mission Bells | Friar Rock | |||
Sanctuary | ||||
母系(F-No.) | 23号族(FN:23-b) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Spearmint:S4×M4 = 12.50%, Cerito:S4×M4 = 12.50% | [§ 4] | ||
出典 |
出典
編集- ^ a b “Horse Profile for Two Lea” (英語). Equibase. Equibase Company LLC. 2022年7月24日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|Two Lea(USA)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年7月24日閲覧。
- ^ a b c d “Two Leaの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2022年7月24日閲覧。
外部リンク
編集- The United States' National Museum of Racing and Hall of Fame - Two Lea - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ