デリック・メイ (ミュージシャン)
デリック・メイ(Derrick May、1963年4月6日 - )は、アメリカのテクノミュージシャン、DJである。テクノシーンにおけるキーマンの一人とされ、ホアン・アトキンス、ケビン・サンダーソンらと共にデトロイト・テクノ創始者の一人に数えられる。メイ自身が作った曲もさることながら、そのDJプレイでも大いに注目を集める人物である。
デリック・メイ | |
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基本情報 | |
別名 |
Rhythim Is Rhythim Mayday |
生誕 | 1963年4月6日(61歳) |
出身地 | アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト |
ジャンル |
デトロイトテクノ ハウス テクノ EDM |
職業 |
プロデューサー DJ |
活動期間 | 1986〜現在 |
レーベル | Transmat |
来歴・人物
編集メイがテクノに関わるきっかけは、高校の同級生であったホアン・アトキンスからシンセサイザーを駆使した音楽を教えてもらったことに始まる。
既に音楽活動を開始していたホアン・アトキンスに影響され、1986年に自身のレーベルであるTransmatを設立する。1987年に同レーベルからRhythim Is Rhythim名義で自身の最初の曲「Nude Photo」をリリース。1988年には、後の代表曲の一つとなる「Strings Of Life」をリリースした。(後に『マネーの虎』(日本テレビ)の番組中で使用された。)
自身のTransmatレーベルでは、数多くのアーティストを発掘している。デリックの1番弟子カール・クレイグ、2番弟子ケニー・ラーキンや3番弟子のステイシー・パレン、他にもサバーバン・ナイト、オクテイヴ・ワン、ジョイ・ベルトラムらがTransmatからリリースを行っている。彼らの一部は後にデトロイト第2世代と呼ばれるようになる。
自身の曲は、シカゴ・ハウスへも大きな影響を与えている。なお、ホアン・アトキンスが当時シカゴでDJをしていたフランキー・ナックルズにローランド・TR-909を売ったのがシカゴ・ハウス誕生のきっかけの一つと言われているが、909の売却にはデリック・メイは反対したと言われる。
1993年以降は、活動の殆どをDJ活動に割いている。新曲は、過去の楽曲のRemix版がたまに出る程度である。尚、現時点での完全な新曲は攻殻機動隊のゲーム版サウンドトラックに収録されている楽曲が最後。
最近では、デトロイトで毎年5月末に開催されているエレクトロニック・ミュージックフェスティバル「Movement」にて、2003年に実行委員長を務めるなど、若手ミュージシャンのサポートに回ることが多い。
エピソード
編集- ケビン・サンダーソンと仲良くなったきっかけは喧嘩であった。1983年、饒舌なデリック・メイをよく思っていなかったケビン・サンダーソンが、デリック・メイの顔面にパンチを喰らわせノックアウトした。その出来事で2人は仲良くなり音楽活動をともにするようになった[1]。
ディスコグラフィー
編集- X-Ray: Let's Go, 1986年
- Rhythim is Rhythim[sic]: Nude Photo, 1987年
- Rhythim is Rhythim: Strings Of Life, 1987年
- Rhythim is Rhythim: It Is What It Is, 1988年
- Rhythim is Rhythim: Beyond The Dance , 1989年
- Rhythim is Rhythim: The Beginning, 1990年
- Rhythim is Rhythim: Icon / Kao-tic Harmony, 1993年
- Derrick May: Innovator, 1996年
- Derrick May: Mayday Mix, 1997年
- System7-Derrick May: Mysterious Traveller, 2002年
参考文献
編集- ^ 「High Tech Soul - The Creation of Techno Music」