デイヴィッド・セシル (第3代エクセター伯爵)
第3代エクセター伯爵デイヴィッド・セシル(David Cecil, 3rd Earl of Exeter、1604年ごろ – 1643年4月18日)は、イングランド王国の貴族、政治家。1640年の短期議会で庶民院議員を務めた[1]。
生涯
編集サー・リチャード・セシル(1633年9月4日没、初代エクセター伯爵トマス・セシルの次男)と妻エリザベス(初代準男爵サー・アンソニー・コープの娘)の息子として、1604年ごろに生まれた[1]。1620年秋学期にケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学、1621年にM.A.の学位を修得した[2]。1627年8月9日、リンカーン法曹院に入学した[2]。
1640年の短期議会でピーターバラ選挙区選出庶民院議員を務め、同年7月9日に伯父ウィリアムが死去するとエクセター伯爵位を継承した[1]。1642年から1643年までラトランド統監を務めた[1]。
1643年4月18日にロンドンで死去、スタンフォードのセント・マーティン教会に埋葬された[1]。息子ジョンが爵位を継承した[1]。
家族
編集エリザベス・エジャートン(Elizabeth Egerton、1688年3月24日埋葬、初代ブリッジウォーター伯爵ジョン・エジャートンの娘)と結婚[1]、2男1女をもうけた[3]。
- デイヴィッド(1641年5月20日埋葬[3])
- ジョン(1628年 – 1678年2月1日) - 第4代エクセター伯爵[1]
- フランシス(1633年8月14日洗礼 – 1652年12月31日) - 1650年4月15日、初代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパーと結婚、子供あり[4]
出典
編集- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 218–219.
- ^ a b "Cecil, David. (CCL620D)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1363. ISBN 978-0-97119662-9。
- ^ Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 646–647.
外部リンク
編集- "デイヴィッド・セシルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
公職 | ||
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先代 第5代ハンティンドン伯爵 第6代ハンティンドン伯爵 |
ラトランド統監 1642年 – 1643年 |
空位 次代の在位者 第3代キャンプデン子爵
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イングランドの爵位 | ||
先代 ウィリアム・セシル |
エクセター伯爵 1640年 – 1643年 |
次代 ジョン・セシル |