ディノ・ラジャ

クロアチアのバスケットボール選手 (1967 - )

ディノ・ラジャDino Rađa 1967年4月24日-)は、クロアチアスプリト出身の元プロバスケットボール選手。現役時代のポジションはパワーフォワードまたはセンター

ディノ・ラジャ
Dino Radja
パナシナイコスBCでのラジャ
(1998年)
引退
クロアチア語 Dino Rađa
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
生年月日 (1967-04-24) 1967年4月24日(57歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
クロアチア スプリト
身長(現役時) 211cm (6 ft 11 in)
体重(現役時) 120kg (265 lb)
キャリア情報
NBAドラフト 1989年 / 2巡目 / 全体40位[1]
プロ選手期間 1985年–2003年
ポジション PF / C
背番号歴 40, 14
選手経歴
1985-1990
1990-1993
1993-1997
1997-1999
1999-2000
2000-2001
2001-2002
2002-2003
KKスプリト
ヴィルトゥス・ローマ
ボストン・セルティックス
パナシナイコスBC
KKザダル
オリンピアコスBC
KKシボナ
KKスプリト
受賞歴
NBA通算成績
得点 3,733 (16.7 ppg)
リバウンド 1,883 (8.4 rpg)
アシスト 356 (1.6 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)
代表歴
キャップ  ユーゴスラビア
クロアチアの旗 クロアチア
獲得メダル
男子バスケットボール
 ユーゴスラビア
オリンピック
銀メダル - 2位 1988 ソウル チーム
欧州選手権
銅メダル - 3位 1987 アテネ
金メダル - 1位 1989 ザグレブ
金メダル - 1位 1991 ローマ
U-19 世界選手権
金メダル - 1位 1987 イタリア
U-18 欧州選手権
金メダル - 1位 1986 オーストリア
 クロアチア
オリンピック
銀メダル - 2位 1992 バルセロナ チーム
世界選手権
銅メダル - 3位 1994 トロント
欧州選手権
銅メダル - 3位 1993 ミュンヘン
銅メダル - 3位 1995 アテネ

経歴

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クラブチームでの経歴

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地元のKKダルヴィンでキャリアを開始した。その後KKスプリトに入りプロ生活を始めた。そこで彼はトニー・クーコッチと共に2度ヨーロッパのクラブ選手権を制覇した。また1988-89シーズンにはユーロリーグファイナル4MVP英語版に選ばれている。その後彼はセリエAヴィルトゥス・ローマに移籍して、チームの3連覇には立ち会わなかった。1990-91シーズン、彼は平均18.1得点をあげ、ヨーロッパのスポーツジャーナリストによる投票で、そのシーズン2番目に活躍した選手に選ばれた(最も票を集めたのはトニー・クーコッチ)。その後彼は平均得点を20.2得点、21.5得点とあげていき、1992年チームはコラチカップで優勝した。

1989年のNBAドラフトにて2巡目40位でボストン・セルティックスから指名されていたが、4年後の1993年にセルティックスと契約を結んだ。ルーキーシーズン、彼はシーズン平均15.1得点、7.2リバウンドをあげてNBAオールルーキーセカンドチームに選ばれた。セルティックスでは1試合平均16.7得点、8.4リバウンドをあげた。1997年、フィラデルフィア・セブンティシクサーズクラレンス・ウェザースプーンとのトレードが持ち上がったが、6月24日、フィジカルテストに失格した。

この年彼はヨーロッパへ復帰、パナシイナイコスBCに加入、2シーズンを過ごしギリシャA1バスケットボールリーグでの連続優勝に貢献した。クラブ社長の息子との試合後ロッカールームでの諍いもあり、彼はチームを退団、1999年にクロアチアのKKザダルに加入した。2000年にはギリシャに復帰、パナシナイコスの長年のライバルであるオリンピアコスBCに加入したが優勝することはできなかった。2001-2002シーズンをKKシボナ、2002-2003シーズンはKKスプリトでプレー、リーグ戦の優勝を花道に現役を引退した。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1993–94 BOS 80 47 28.8 .521 .000 .751 7.2 1.4 .9 .8 15.1
1994–95 66 48 32.5 .490 .000 .759 8.7 1.7 .9 1.3 17.2
1995–96 53 52 37.4 .500 --- .695 9.8 1.6 .9 1.5 19.7
1996–97 25 25 35.0 .440 .000 .718 8.4 1.9 .9 1.9 14.0
通算 224 172 32.6 .497 .000 .735 8.4 1.6 .9 1.3 16.7

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1995 BOS 4 3 38.3 .400 --- .714 7.0 2.3 1.0 1.3 15.0
通算 4 3 38.3 .400 --- .714 7.0 2.3 1.0 1.3 15.0

代表歴

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1987年、イタリアボルミオで行われたバスケットボールジュニア世界選手権にユーゴスラビア代表として出場、金メダルを獲得した。その後、ユーゴスラビア代表クロアチア代表としてもトニー・クーコッチドラゼン・ペトロヴィッチブラデ・ディバッツらとともに長年活躍し、1988年のソウルオリンピックNBAに所属するマイケル・ジョーダンマジック・ジョンソンら、ドリームチームが初めて出場した1992年のバルセロナオリンピックでも銀メダル、ドリームチームIIも出場した1994年バスケットボール世界選手権で銅メダルを獲得している。