チャールズ・リトルトン (第10代コバム子爵)
第10代コバム子爵チャールズ・リトルトン(英語: Charles Lyttelton, 10th Viscount Cobham, KG, GCMG, GCVO, TD, PC, DL、1909年8月8日 - 1977年3月20日)は、イギリスの政治家、軍人、クリケット選手、貴族。
第10代コバム子爵 チャールズ・リトルトン Charles Lyttelton 10th Viscount Cobham | |
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生年月日 | 1909年8月8日 |
出生地 | イギリス ロンドン・ケンジントン |
没年月日 | 1977年3月20日(67歳没) |
死没地 | イギリス ロンドン・メリルボーン |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
称号 | 第10代コバム子爵、第10代コバム男爵、第7代ウェストコート男爵、第7代リトルトン男爵、第13代リトルトン準男爵、ガーター勲章ナイト(KG)、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダー(KCMG)、ロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロス(GCVO)、枢密顧問官(PC) |
配偶者 | エリザベス(旧姓マケイグ=ジョーンズ) |
在任期間 | 1957年9月5日 - 1962年9月13日 |
国王 | エリザベス2世 |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1949年7月31日 - 1977年3月20日[1] |
経歴
編集1909年8月8日に第9代コバム子爵ジョン・リトルトンとその妻ヴァイオレット(旧姓レオニード)の間の長男としてロンドン・ケンジントンに生まれる[2][3]。
イートン校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学[2]。
1932年からウスターシャーXIでクリケット選手として活躍した[2]。1936年から1939年まではウスターシャー州クリケット・キャプテンだった[4]。。
また国防義勇軍の騎兵隊の将校でもあり、第二次世界大戦が勃発すると出征した[2]。
1949年7月に父が死去し、第10代コバム子爵位を継承し[2][3]、貴族院議員に列した[1]。
1957年から1962年にかけてニュージーランド総督に就任した[2][3]。ニュージーランドにおけるアウトワード・バウンド運動に尽力した[4]。
1963年から1974年にかけてはウスターシャー知事を務めた[2][3]。
1964年にガーター騎士団ナイトに叙され、1972年から1977年までガーター騎士団騎士団長を務めた[2][3]。
1967年に枢密顧問官に列し、同年から1972年にかけて家政長官を務めた[2]。
1969年4月に国防義勇軍のウスターシャー・ヨーマンリー及び女王所有ウォリックシャー連隊の名誉連隊長に就任した[5]
栄典
編集爵位/準男爵位
編集1949年7月31日に父の死により以下の爵位を継承した[2][3]。
- 第10代コバム子爵 (10th Viscount Cobham)
- (1718年5月23日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- ケント州におけるコバムの第10代コバム男爵 (10th Baron Cobham, of Cobham in the County of Kent)
- (1718年5月23日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- ロングフォード県におけるバリーモアの第7代ウェストコート男爵 (7th Baron Westcote, of Ballymore in the County of Longford)
- ウスター州におけるフランクリーの第7代リトルトン男爵 (7th Baron Lyttelton, of Frankley in the County of Worcester)
- 第13代リトルトン準男爵 (13th Baronet Lyttelton)
勲章
編集- 国防義勇軍勲章(TD)[2]
- 1957年、聖マイケル・聖ジョージ騎士団(勲章)ナイト・コマンダー(KCMG)[2][3]
- 1964年、ガーター騎士団(勲章)ナイト(KG)[2][3]
- 1972年、ロイヤル・ヴィクトリア騎士団(勲章)ナイト・グランド・クロス(GCVO)[2][3]
家族
編集1942年にエリザベス・マケイグ=ジョーンズと結婚。彼女との間に以下の8子を儲けた[2][3]。
- 第1子(長男)ジョン・ウィリアム・レナード・リトルトン(1943-2006): 第11代コバム子爵位を継承
- 第2子(長女)ジュリエット・メリエル・リトルトン(1944-)
- 第3子(次女)エリザベス・キャサリン・リトルトン(1946-)
- 第4子(次男)クリストファー・チャールズ・リトルトン(1947-) : 第12代コバム子爵位を継承。現当主。
- 第5子(三男)リチャード・キャヴェンディッシュ・リトルトン(1949-)
- 第6子(四男)ニコラス・マケイグ・リトルトン(1951-2014)
- 第7子(三女)ルーシー・リトルトン(1954-)
- 第8子(四女)サラ・リトルトン(1954-2015)
脚注
編集出典
編集- ^ a b UK Parliament. “Mr Charles Lyttelton” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年12月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Lundy, Darryl. “Charles John Lyttelton, 10th Viscount Cobham” (英語). thepeerage.com. 2015年12月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Cobham, Viscount (GB, 1718)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月21日閲覧。
- ^ a b “Viscount Cobham, GCMG, TD”. The Governor-General. 2015年12月21日閲覧。
- ^ "No. 45013". The London Gazette (Supplement) (英語). 5 January 1970. p. 217. 2012年5月8日閲覧。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Viscount Cobham
- Official biography (Government House, Wellington)
タイトル | ||
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先代 シリル・ウォルターズ |
ウスターシャー州クリケット・キャプテン 1936年–1939年 |
次代 1940年-1945年まで戦争でクリケット中止 (次の就任者サンディ・シングルトン) |
公職 | ||
先代 初代ノリー男爵 |
ニュージーランド総督 1957年–1962年 |
次代 サー・バーナード・ファーガソン |
先代 第4代ウェストミンスター公爵 |
家政長官 1967年–1972年 |
次代 第10代ノーサンバーランド公爵 |
名誉職 | ||
先代 サー・ウィリアム・テナント |
ウスターシャー知事 1963年–1974年 |
ヘレフォードシャーと合併 |
先代 第5代ソールズベリー侯爵 |
ガーター騎士団騎士団長 1972年–1977年 |
次代 第5代アバーガヴェニー侯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジョン・リトルトン |
第10代コバム子爵 1949年–1977年 |
次代 ジョン・リトルトン |