タラズ

カザフスタンの都市

タラズカザフ語: Тараз)は、カザフスタン共和国ジャンブール州の州都。 かつてはタラス(Talas)やジャンブール(Jambyl DzhambulZhambyl)、アウリエ・アタ(Aulie-Ata)、ミルゾヤン(Mirzoyan)などと呼ばれた。 カザフスタン南部に位置し、キルギス共和国の国境に近い。人口は330,100人(1999年)であるが、人口増加率はカザフスタンで最も高い都市の1つとなっている。タラス川の扇状地にあるオアシス都市。

タラズ
Тараз
タラズ
タラズ
タラズの市章
市章
位置
タラズの位置(カザフスタン内)
タラズ
タラズ
タラズ (カザフスタン)
座標 : 北緯42度54分 東経71度22分 / 北緯42.900度 東経71.367度 / 42.900; 71.367
行政
カザフスタンの旗 カザフスタン
 行政区画 ジャンブール州
 市 タラズ
市長 Ilyas Tortayev
人口
人口 (1999年現在)
  市域 330,100人
その他
等時帯 UTC+5
郵便番号 080001 - 080019
市外局番 +7 7262

歴史

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トランスオクシアナでも最古の町の1つで、紀元前1世紀匈奴によってこの地に短期間ではあるが砦が作られた。紀元前36年、タラス河畔で郅支単于に敗れた。2001年に町の創立2000年を祝った。6世紀以降は突厥(その後、西突厥)の領地となり、当時、南カザフスタンを通っていたシルクロードの主要な交易拠点の1つとなる。751年には、アッバース朝の間でタラス河畔の戦いが、タラス川(現在のキルギス領内)で闘われた。(キルギスの都市・タラスを参照のこと)。 11世紀にはカラハン朝の都となり繁栄を迎える。

19世紀初頭にコーカンド・ハン国の支配下に入り、町が拡大、春には大きな市がたち家畜や農産物の売買の中心地となる。1856年にはアウリエ・アタ(「聖なる父」の意)と呼ばれるようになる。 1864年ロシア帝国軍に包囲されると陥落、シムケントと結んでロシアの重要な軍事戦略拠点となる。ロシア風の新市街地が建設される。ロシア人ウクライナ人サルト人が住む家畜の飼育が盛んな町となる。この頃はカザフ人は、ほとんどいなかった。その後、カザフスタン共産党の一等書記の名を取って「ミルゾヤン」、カザフスタンの民族詩人の名をとって「ジャンブール」、と改名するなど頻繁に市名を変える。1930年代以降は、ドイツ人チェチェン人クラーク(自営農民、富農)などスターリンに「人民の敵」とされた人々の追放先となる。1960年代以降は、化学工業を中心に工業化が急速に進む。独立後、ヴォルガ・ドイツ人ユダヤ人だけでなくロシア人の多くも町を離れ、代わりにカザフ人の流入が続いている。1997年、タラズの名に戻った。

姉妹都市

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脚注

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関連項目

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